21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

小説

K.イシグロ『忘れられた巨人』 第二〜五章

前回の記事を読みなおしてみると、「マル1」とか「マル2」とか書いた部分が全部文字化けしておりました。いや、環境依存文字なのは知ってるけど、日本語のブログだから大丈夫かな、と思ってたのが、そうでもないんですね。・・・・・・聞いてくれているの、…

K.イシグロ『忘れられた巨人』 第一章

理由はよく分からないのですが、オフィスが停電するということで、久方ぶりの定時帰宅。ああ、欧州の初夏、夕べはこれほどに長いのですね。長らく私は季節の感覚をなくしておりました。神、もしくはビルメンの人に感謝を捧げながら、せっかく得た時間をブロ…

筒井康隆『ダンシング・ヴァニティ』

どうにもこうにも、何を書いていいかわからなくなって、本の感想を書かなくなって久しいのだけれど、本自体は読むのがわりと楽しくて、それなりに読んでいる、という日々が続いている。この、筒井御大の『ダンシング・ヴァニティ』も楽しかった。ある日書斎…

綿矢りさ『勝手にふるえてろ』

私も半休ばかりで入社してから海外旅行なんて一回も行ったことがなかった。有休はほとんど取らないうちに三年ごとにリセット、お母さん私の有休は一体どこに行ったんでしょうね、消化されたのよ、なにに、社会に。(136ページ) 芥川賞同時受賞のときは、ど…

石黒達昌『冬至草』 「希望ホヤ」

梢の間に見える湖にはうっすらと霧が流れていて、水面から鋭く突き出た枯れ木は死にながら朽ちずに存在していた。夢中で斜面をさまよい歩くうち、地衣類が独特の斑紋を描いている樹木はどれ一つとして同じではないのに、踏み跡程度の道を外して迷い込んでし…

田中啓文『蹴りたい田中』

そうだ。喰わねばならない。永遠の美貌に比べればこのぐらいの臭さは屁でもない。薫は小片を飲み下すと、無理矢理大口をあけて、その果実をもうひと噛みした。バターのようなねっとりした食感である。口腔の粘膜にそれが触れた瞬間、再びおぞましいまでの異…

馳星周『沈黙の森』

「カモシカでもいるのか?」 田口は疾風の視線の先を追った。樹木を鎧代わりにした山が風雪に抗っている。空は絶え間なく降り続ける雪に塗り潰されていたが、山はまだ闇の底に沈んだままだ。枝擦れの音が苦悶の声のようだった。 田口が歩を進めると、疾風は…

津原泰水『バレエ・メカニック』

「一面においてね。だから性衝動に満ちてもいる。いま新宿をさまよっている貴方は理沙ちゃんにとって、父性を感じさせる見知らぬ男ーーアニムスに過ぎない。女性はおおむねアニムスに対して肯定的なの。彼女が貴方を父親として認識しているだろうというのは…

飴村行『粘膜戦士』 「柘榴」

不意に西側の庭で物音がした。靴底が地面を蹴るような音だった。昭の心臓が大きく鳴った。何者かがこの音を発しているのかもしれなかった。昭はベッドから下りると昇降式の窓に駆け寄りカーテンを引き開けた。外は月夜だった。青白い満月が夜空に浮かんでい…

J.M.クッツェー『遅い男』

最近わたしはそう思い直しているよ。気のひとつも動転することが、もっとあっていい。眦決して鏡を覗いてみるべきだよ。そこに映るものに嫌気がさすとしても。時間による荒廃ぶりを言っているんじゃない。ガラスのむこうに閉じこめられた生き物のことを言っ…

岩井志麻子『チャイ・コイ』

最近、読んで文句言うなら読むな、という本ばかり読んでいる気がしなくもないですが。 解説、渡辺淳一。もうそれで分かってもらうしかない。解説、渡辺淳一。岩井志麻子なのに。解説、渡辺淳一。いや、岩井志麻子だから? 解説、渡辺淳一。というか、渡辺淳…

垣根涼介『ギャングスター・レッスン』

さて、日本に戻って参りました。いきなり阪神・ヤクルト戦を観に行き、ヤクルトが勝って大変うれしかった訳ですが、まあ記事は飛行機の中で読んでいた本の話で。 子供のころ、「大長編ドラえもん」では、冒険がはじまる前の、みんなで道具で遊んでいる場面が…

村上龍『半島を出よ』 introduction1 2011年3月3日 見逃された兆候

ずっとずっとずっとずっとアメリカに尻尾を振り続け忠犬として尽くしてきたのに、餌をもらえないどころかバシバシ棒で打たれるような仕打ちを受けたと、多くの国民がそう感じたのだ。だから、嫌い、というだけじゃなくて、憎むようになった。同時に前々から…

T.チャン『あなたの人生の物語』 「顔の美醜について -ドキュメンタリー」

ていうか、こないだキャンバスの売店にいて、eメールをチェックしようとスペックスをかけたんだけど、ちょうどポスターでCMを流してたわけ。シャンプーの広告。<ジューイッサンス>だったかな。そのCMは前にも見たことがあるんだけど、”カリー”なしだとちが…

堀江敏幸『ゼラニウム』 「アメリカの晩餐」

簡単な挨拶と自己紹介を棲ませて招き入れられたアパルトマンは、サングラスのプロデューサーが一ヵ月前に購入したばかりで、窓がすべて通りに面したに二十畳敷きくらいの大部屋の連なる豪奢なつくりだったが、まだ内装が済んでおらず、壁という壁の装飾がは…

飛浩隆『グラン・ヴァカンス』

「決めろ。『しかたがない』ことなど、なにひとつない。選べばいい。選びとればいい。だれもがそうしているんだ。ひとりの例外もなく、いつも、ただ自分ひとりで、決めている。分岐を選んでいる。他の可能性を切り捨てている。泣きべそをかきながらな」(第…

伊藤計劃『ハーモニー』

「ああ。わたしはものすごい吐き気に襲われた。 駄目なんだよ、お母さん。 わたしはやせ細って動かないからだのなかでそう叫んでいた。ぜんぜん駄目なんだよ。そうやって、誰彼構わず他人の死に罪悪感なんて持っちゃ、いけないんだよ。だって、ミァハとお母…

古井由吉『辻』 「草原」

あなたが殺したのではないの、と言った。 理由を話しましょうか、と爪の先をさらに肉に喰いこませながら、後を継がなかった。(100ページ) 辻、がなにを意味するのかを読み解くことは、この作品集を読む上でべつに重要なことではないと思う。しかしながら、…

古井由吉『辻』 「雪明かり」

無事。この二文字を日々書留めるだけで、立派な日記になるのだろう。(『仮往生伝試文』) かつて、院生時代、書評のまねごとをさせていただいたことがあり、そのとき、古井由吉の『野川』を評して、「ひとつの段落ごとがひとつの作品になっている」、と書い…

佐藤亜紀『ミノタウロス』

人間の尊厳なぞ糞食らえだ。ぼくたちはみんな、別々の工場で同型の金型から鋳抜かれた部品のように作られる。大きさも。重さも、強度も、役割もみんな一緒だ。だからすり減れば幾らでも取り換えが利く。彼の代わりにぼくがいても、ぼくの代わりに彼がいても…

伊藤計劃『虐殺器官』 第二部4

この古さと曲がりくねった道、そしてカフカのイメージが、ぼくにこの街を迷宮のように見せている。ボルヘスが描いたラテン・アメリカ的なそれとは違う、ヨーロッパの青く暗い光にうっすらと浮かび上がる、冷たい迷宮に。(第二部6) ぐいぐいと引き込まれる…

伊藤計劃『虐殺器官』 第一部4

ぼくには、ことばが単なるコミュニケーションのツールには見えなかった。見えなかった、というのは、ぼくはことばを、リアルな手触りをもつ実態ある存在として感じていたからだ。ぼくにはことばが、人と人とのあいだに漂う関係性の網ではなく、人を規定し、…

リリー・フランキー『東京タワー』

お盆の季節に日本に帰ったので、自然、墓参りや法事など、死者を悼む行事に参列することが多かった。ただし、亡母をはじめ、親しい人の位牌の前に立っても、漫画や小説のように死者に語りかける、などということは気恥ずかしくてできず、かといって頭から離…

平野啓一郎『葬送』 第一部・七

絵筆を執って暫くの間は、時々息を吐き掛けて、悴む指先をほぐさねばならなかった。しかし、じきにそれも忘れてしまって、腕を動かしていること自体を意識しなくなっていた。集中すると何時もそうであるように、手と目は直結し、からだの一部分であることを…

"Best European Fiction 2010" [Austlia] A.Fian from "While Sleeping"

We'd just begun putting them together when word came that these boxes were actually urns in which, after we'd been killed and cremated, the ashes of each prisoner would be stored (BOXES) はじめて外国旅行に出かけたのは北京で、それは若干バブ…

カズオ・イシグロ『夜想曲集』 「降っても晴れても」

「エミリが知ったら、おまえは金玉鋸挽きの刑だ」(70ページ) 読んでいて疲れる短篇と、疲れない短篇とあると思うのだが、カズオ・イシグロの『夜想曲集』はそれを交互にくりかえす形でできていて、この「降っても晴れても」は疲れる方に属する。べつに疲れ…

吉田修一『悪人』

かつてこれほどまでに「人恋しい」小説はなかったと言いたくなるほどの切なさと、希望のない生活のなかでの適度な自己の突き放し。レヴィの本には、表面的な諧謔はあっても「人恋しさ」がない。人恋しさのない孤独は、深いようでいて浅いのだ。(「人恋しさ…

小島信夫『残光』 第一章

この言葉はどこに書かれているか。ひょっとしたら『作家の日記』かもしれないがよく分からない。『カラマーゾフの兄弟』をじっと考えて、この返答を考えてみるといい、と私は思う。(18-19ページ) 『抱擁家族』はひじょうに好きな小説であるため、先日、日…

Alaa Al Aswany "The Yacoubian Building"(2)

Yacoubian Buildingには金持ちから貧乏人まで、いろんな階層の人が住んでいるのだが、その中の一人、門番の息子タハは警察官になるのが夢である。日銭を稼ぐ仕事に追われながらも、学校での成績はトップ、彼の才能をやっかむ人びとの意地悪にもめげず、ひた…

村上春樹『1Q84』 BOOK1 第19章「(青豆)秘密を分かち合う女たち」

しかしそれでも月だけはくっきりと見えた。(BOOK2 第18章「(天吾)寡黙な一人ぼっちの衛星」) この本を読んでいると、いろいろな本を思い出す。それは引用されているような文学作品ではなくて、20世紀の日本のミステリだ。桐野夏生『OUT』、宮部みゆき…