21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

2008-05-01から1ヶ月間の記事一覧

D.デフォー『ロビンソン・クルーソー』 (三)

『ロビンソン・クルーソー』は主人公の名前がタイトルになっている小説である。それは、『Dr.スランプ』なのか、『Dr.スランプ アラレちゃん』なのか、という程度の違いでしかないが、思えばそれは、作家がキャラクターというものを重視したひとつの証拠かも…

5月25日付 新聞書評メモ

【日本経済新聞】 ☆自著評 岩下尚史『見出された恋』(雄山閣) 『荒地の恋』を読み終えた途端、三島由紀夫の若き日の恋愛(ちなみにヘテロセクシャル)を書いた小説の書評が出た。ゲーテやヘミングウェイが登場するクンデラの『不滅』や、クッツェーの『ペ…

ねじめ正一『荒地の恋』 第十三章

そう、俺は君を生きなかった。だから罰は惨い方がいい。君を生きなおすことはもうできないのだから。俺は君を捨てたのだから。(「すてきな人生」) 『荒地の恋』は非常によくできた小説であるが、それはやはり20世紀という時代へのオマージュ、というよりは…

5月18日付 新聞書評メモ

【毎日新聞】 ☆中村桂子評 丸谷才一『蝶々は誰からの手紙』(マガジンハウス) 書店で手に取ったものの、購入するかどうか迷った一冊の書評本の書評が出た。最近このブログもうまく書けなくなってきたので、人の書評をまとめて読むのも手かも知れない。☆張競…

5月11日付 新聞書評メモ

この一週間、風邪が抜けなかったりして更新せず、失礼いたしました。【毎日新聞】 ☆山崎正和評 安富歩『生きるための経済学』(NHKブックス) 「選択の自由」は意志を殺す、という内容の本らしい。実は書評を読んでいても、どんな内容の本なのかよく分からな…

D.デフォー『ロビンソン・クルーソー』 (二)

それは、理性が数学の本質であり根源である以上、すべてを理性によって規定し、事物をただひたすら合理的に判断してゆけば、どんな人間でもやがてはあらゆる機械技術の達人になれるということである。それまで私は道具一つ扱ったことのない人間であった。し…

ねじめ正一『荒地の恋』 第二章

人間だれしも躁と鬱のあいだを行き来しているのであって、五月の連休が終わったころなど、どうしてもウツになってしまうが、会社勤めをしていればその鬱な気分にひたすら塗れる、といった贅沢なこともできず、「ああウツだなあ」と思いながら、とりあえず会…

D.デフォー『ロビンソン・クルーソー』 (一)

つまり、お前の身分は中くらいの身分で、いわば下層社会の上の部にいるというわけなのだ。自分の長年の経験によるとこのくらいいい身分はないし、人間の幸福にも一番ぴったりあってもいる。身分のいやしい連中のみじめさや苦しさ、血のにじむような辛酸をな…

G.ガルシア=マルケス『百年の孤独』 (三)

アウレリャノ・セグンドはトランクを提げてわが家に帰った。ウルスラだけではない、マコンドの住民のすべてが、雨が上がるのを待って死ぬつもりなのだと彼は思った。通りすがりに、ぼんやりした目付きで腕組みをし、広間にすわり込んでいる彼らの姿が眼につ…

本田透『世界の電波男』 第二部

本田透氏は出世作(?)『電波男』で、宮沢賢治が「萌え」を知らなければ、鬼畜になって「イーハトーヴ30人殺し」を起こしていただろうという、喪男を訪れる「萌え」と「鬼畜」の分岐点という名理論をうちたてた。これはモテるとか、モテないとか、そうい…

5月4日付 新聞書評メモ

【毎日新聞】 「源氏物語特集」この程度のスペースで、与謝野晶子訳、谷崎潤一郎訳、円地文子訳、瀬戸内寂聴訳を比較してのける鹿島茂さんは、さすがというより他ない。☆若島正評 巨椋鴻之介『禁じられた遊び 巨椋鴻之介詰将棋作品集』(毎日コミュニケーシ…

寺尾紗穂『評伝 川島芳子』 第二章

ひととき大学院の世界に身をおいた人間としては、修論を本にするということ自体が、あまりに大それたことに見えてしまうのだが、そんなことを考えずに新書として読めば抜群に面白い。本書内でも触れられている上坂冬子『男装の麗人・川島芳子伝』(文春文庫…

本田透『世界の電波男』 第一部

ゴールデンウィークに三才ブックスの本なんか読んでていいのかYO! という近代の自意識によるツッコミはさておき、本田透は物語について、完全に「自分のこと」として論を展開できる数少ない(ひょっとしたらただ一人?)の評論家である。前著『喪男の哲学史…

G.ガルシア=マルケス『百年の孤独』 (二)

彼女は、執拗な想起によって思い出のひとつひとつが形をなし、閉め切られた部屋を人影のようにさまよう屋敷のなかに、心のやすらぎを見いだしていた。(191ページ) まとめて評文を書けるくらいなら、こんな小説は読むまでもない。ともかく5ページくらいの…

J.M.クッツェー『夷狄を待ちながら』 第五章

生きとし生けるものは正義の正義の記憶をもってこの世に生まれ出るものというわけである。「しかしわれわれは法の世界に生きている」と私はその哀れな囚人に言った。「次善の世界に。そのことはどうすることもできない。われわれは堕ちた存在なのだ。」(308…

G.ガルシア=マルケス『百年の孤独』 (一)

そのような幻覚にみちた覚醒状態のなかで、みんなは自分自身の夢にあわられる幻を見ていただけではない。。ある者は、他人の夢にあらわれる幻まで見ていた。まるで家のなかが客であふれているような感じだった。 ガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤…