21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

T.チャン『あなたの人生の物語』 「顔の美醜について -ドキュメンタリー」

ていうか、こないだキャンバスの売店にいて、eメールをチェックしようとスペックスをかけたんだけど、ちょうどポスターでCMを流してたわけ。シャンプーの広告。<ジューイッサンス>だったかな。そのCMは前にも見たことがあるんだけど、”カリー”なしだとちがって見えるの。モデルがとっても――とにかく彼女から眼がはなせなくなっちゃって。といっても、カフェテリアであのハンサムを見たときとはちがう。もっと彼女のことをよく知りたいっていうんじゃなく、なんだか……たとえば夕日が沈むところとか、花火大会を見物してる感じ。(450ページ)

 非常にミもフタもないタイトルのこの小説は、美醜失認装置(=カリー)が発明され、いくつかの教育機関に試験的に導入された時代のことを書いていて、スタンダールの言葉をエピグラフに引いている。ただ、私としてはドストエフスキーの「美は世界を救う」と、この小説を並べておきたいところで、要はまあ、ドストエフスキーの言いたかったことは、引用部に挙げた美しい少女、タメラ・ライアンズの思いと似たようなところにあると思っている。
 この小説では美しいビジュアルで大衆扇動しようとする化粧品会社が悪者になっていて、様々な人から攻撃を受けているのだけれど、「全米美醜失認教会会長」が、美男美女を麻薬のごとく使う広告会社を糾弾する考え方に、私はリアリティを持てないでした。むろんテッド・チャンは自分の意見としてこれを悪者とするような、アホな書き方はしていないので、要はそういう風に感じる人がいるということについて。と、いうよりは現代人の(あるいは未来人の)購買行動を記述するにあたって、広告ヴィジュアルが美しくて商品を買ってしまう、というような心理がありえるのか、というところに疑問を持ったのだ。(これを自分の恋愛に敷衍しているタメラの思いは、まだしも説得力があるのだけれど)。要は、現代って美しいだけで幸福が約束される時代じゃないような気がしているのだ。
 SFに描かれた消費行動については、飛浩隆「クローゼット」に描かれた、主人公がキャベツにタグをかざすと、流通会社がフェアトレード上、無視できない問題を抱えていることまでが読み取られ、キャベツを買うのを諦める、というシーンのほうが説得力がある。情報に充たされた社会の中で、CFの美女に誘惑されて商品を買うなんて、おそらくレアケースだ。(ただし、「顔の美醜について」の後半では、化粧品会社は政治的にも正しくなくなるけれど)。
 しかし、今日ネットのニュースで見たところによれば、ジュリア・ロバーツの「美しすぎる」ヴィジュアルに対して、イギリスで処分が下された、ということらしい。なんだか世の中よく分からないのである。

意識は以前と同じく、時を追ってじりじりと燃えていく一本の煙草であり、そこにあるちがいは、記憶の灰が後方と同じく前方にもあることだ。もちろん、火がほんとうに燃えているわけではない。けれども、ときおり<ヘプタポッドB>が真の優位を占めるとき、わたしはひらめきを得て、過去と未来を一挙に経験する。わたしの意識は、時の外側で燃える半世紀の長さの燠となる。(「あなたの人生の物語」)