21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

2008-02-01から1ヶ月間の記事一覧

J.M.クッツェー『ペテルブルグの文豪』 第六章

鉛の箱の中には銀の箱。銀の箱の中には金の箱。金の箱の中には白い服を着て手を胸の上に組んだ若者の遺体。その指の間に電報。彼は電報をじっと見る。視線が揺れ惑う。そこにはない許しの言葉を捜し求めて。電報はヘブライ語、古代シリア語、彼が見たことも…

2月24日付 新聞書評メモ

【毎日新聞】 「この人・この3冊」は好きなコラムだが、専門違いの「この人」に当たると、まったく何のことを書いているのか分からなくなることと、取り上げられる本の5割以上が、「品切れ」なのが些かの難点と言える。新刊・売れ行き良好書のみの書評への…

F.M.ドストエフスキー『地下室の手記』第二章

「どうしてお墓の中に水が?」女は、幾分好奇心を示して訊ねたが、口のきき方は、前よりもいっそうぞんざいで、ぶっきら棒だった。俺は、不意に何かにそそのかされた。 「そりゃそうさ。そこに三十センチほども溜まってるんだ。ここのヴォルコヴォ墓地じゃ、…

劇団ひとり 『陰日向に咲く』

「読んでから観るか、観てから読むか」という、実際のところなにが言いたいのかよく分からないカドカワのコピーがあったが、本書は映画「陰日向に咲く」(平川雄一朗監督)を観て、そのあまりの完成度の高さに感動して購入した。原作本は映画に比べ、格段に…

F.M.ドストエフスキー 『地下室の手記』第一章

しかし、仮にその敵意、悪意さえも俺にはなかったとしたら(なにしろまさに俺の話はそこから始めたわけだが)いったいどうしたらいいのか。俺の敵意は、例の呪わしい意識の法則の結果、化学分解を起こしてしまう。見る見るうちに対象は消え失せ、論拠も蒸発…

栢俊彦 『株式会社ロシア』第三章、第四章

第三章以降は、インタヴュー集である。まず、「どっこい俺たちは生きている ―中小企業の心意気」と題された第三章は、本書が一貫して注目している、ロシアの製造業経営者へのインタヴュー集。第二章までで、国内産業の育成、中小企業保護の重要性と、それに…

2月17日付 新聞書評メモ

【日本経済新聞】 ☆川北稔評 ニーアル・ファーガソン『憎悪の世紀』(仙名紀訳、早川書房) 感情を主題に歴史を語る、というのはいささか無理がある気もするが、もちろん、20世紀ほど感情が表だって(マスコミなどに乗って)伝えられた世紀もないわけで、…

栢俊彦 『株式会社ロシア』第一章、第二章

筆者の皮膚感覚では、ロシアが欧州文明社会の入り口に立つのは、市場化プロセスが順調に進んだとしても三〇年後くらいだろう。(「はじめに」) 本書は、駐在経験の長いジャーナリストによる、良質のロシア現代史の解説書であり、計画経済から市場経済へと、…

J.M.クッツエー 『エリザベス・コステロ』第六章

よい解説のついた翻訳小説に出逢ったとき、読書感想文はどうしてもそれに引きずられざるを得ない。訳者の鴻巣友季子さんは、本書の解説で以下のように述べる。「作家にとって最もおそろしい地獄、あるいは煉獄とはどんなものか? コステロにとって、それはク…

F.カフカ 『審判』第九章

それに反して、カフカ『審判』の第九章、「掟の門」のエピソードは深刻な顔をして読むべきなのかもしれない。この入れ子構造の物語、教誨師、門番に導かれて、Kは「犬のようだ!」と言って死んでいくわけだし、その後にはそれこそ「恥辱だけが生き残ってゆ…

2月10日付 新聞書評メモ

日曜日には、二紙以上の新聞書評を読むのを日課としている。基本は、日経と毎日である。日経は社会人になって、しょうがなく読み始めたのだけれど、3年経ってみると、いちばんバランスの取れた書評が掲載されているように感じる。毎日は学生のときから読ん…

福井勝也 『日本近代文学のとドストエフスキー』第二章(五)

市民文学サークル「ドストエーフスキイの会」の運営委員である、福井勝也氏よりご著書を送っていただいたので、僭越ながら感想文を。 本書第二章(五)では、院生時代に私が同会で行なった発表について触れていただいている。自分が話し、書いたことについて…

F.カフカ 『審判』 第七章

彼がこれまでずっと期待していたのは、画家か彼かが突然窓際に行き、これをあけはなつことだった。霧でもいいから、大きな口をあけて吸いこみたいものと、待ちかまえていたのだ。ここでは空気からすっかり遮断されているのだという感じがして、それがめまい…

F.カフカ 『審判』 第六章

朝起きると、雪が積もっているというのは、それなりに快いものだが、日付が変わって帰る道で雪に降られるというのは、なんとも嫌な感じである。さて、ねむくもあるし、手短に書こう。 『審判』の第六章はひとつの転機である。銀行で勤務中のKのもとを、田舎…

F.カフカ 『審判』 第二章

本来ならば今日は、「門前にて」と題された、クッツェー『エリザベス・コステロ』の第六章について語るべきだろう。しかし、この章を読めばどうしてもカフカ『審判』が読みたくなるのが人情。コステロの運命について語るのは、『審判』を読み終えてからでも…

J.M.クッツェー 『エリザベス・コステロ』第四章

名作『エリザベス・コステロ』の第四章「悪の問題」は、ナチスの戦争犯罪に関する講演、という茶番劇を描いている。コステロはアメリカのカレッジで、ナチスの大虐殺は日々世界で起こっている家畜の虐殺と大差ない、と言ってしまったのだ。(モリッシーを聴…

J.M.クッツェー 『エリザベス・コステロ』第三章に関して

ジョン・マクスウェル・クッツェーの作品を、「ポストコロニアリズム」という、それ自体が支配者意識に満ちた視点で語ることの是非はさておき、『エリザベス・コステロ』は、南アフリカの作家が、オーストラリアの作家を主人公にして描いた見事な小説である…