21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

筒井康隆『ダンシング・ヴァニティ』

 どうにもこうにも、何を書いていいかわからなくなって、本の感想を書かなくなって久しいのだけれど、本自体は読むのがわりと楽しくて、それなりに読んでいる、という日々が続いている。この、筒井御大の『ダンシング・ヴァニティ』も楽しかった。ある日書斎で、あまり中身もなさそうな評論を書いていると、家の前で喧嘩が起こって、それが時によってはやくざだったり大学生だったり相撲取りだったりする。そんな感じで、同じパターンの筋書きが3度ほど繰り返され、どれが真実なのか分からないまま、微妙に結果だけをひきずって、次のエピソードに話が移る。主人公の美術評論家は、物語が終わるまでに戦争に行ったり、映画に出たり、浮世絵の本を書いて有名になったりするけれど、こうやって似たような文章と場面が繰り返される、という姿だけは変わらない。
 巻末解説で清水良典が書いているように、これは当然音楽のモチーフなのだろう。しかしながら読んでいてなぜか、この楽しさは野球の試合を観ているようだ、という気がしてきた。つまり毎回3人、それぞれに個性はちがうバッターが打席には立つものの、そこで展開されている光景はほどんど同じであり、あるいは内角高めで身体を起こし、外角のスライダーでカウントを稼いで、フォークボールで打ち取る、というように3度同じパターンすら繰り返される娯楽の形として。思えば野球というものも、意識してみるようになってから、ほとんど30年近くたっているのだけれど、ぼーっと見てしまうし、時には手に汗握ったりもするという点では、私にとって本に似ているのかも知れない。
 なんだかこう言った文章に落ちをつけることに違和感があるのは相変わらずだが、けっこう荒唐無稽な内容の小説にも関わらず、あたかも人生を眺めているような気分がした、ということは書いておこう。

(『ダンシング・ヴァニティ』2011年 原本2008年 新潮文庫