21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

石黒達昌『冬至草』 「希望ホヤ」

梢の間に見える湖にはうっすらと霧が流れていて、水面から鋭く突き出た枯れ木は死にながら朽ちずに存在していた。夢中で斜面をさまよい歩くうち、地衣類が独特の斑紋を描いている樹木はどれ一つとして同じではないのに、踏み跡程度の道を外して迷い込んでしまった。どこも既視感のある風景の中、ふと気づくと、単純な模様の繰り返しが複雑な森を作り上げていた。風が葉を揺らしていく音は海鳴りに似て、緑の海底に沈んでいる錯覚が襲ってくる。枝葉で天涯を覆われ霧に融け込んだ柔らかい生気の中、何度か冬至草の清楚な姿を見つけたと思った。しかし近寄ってみると、この辺りではどこにでもある雪石楠花(ユキシャクナゲ)や古庭帽子(コバボウシ)であったりして、たしかに見たと思った白い花は幻想に過ぎなかった。(「冬至草」)

 CTスキャンの中の癌細胞がちいさくなり、だんだんと消えていく、という奇跡は、我々が想像するうちで、ひょっとするともっともありふれた奇跡かも知れない。とくに、身近な人の体内をのぞいて、そこに絶望的な大きさの異物を認めた経験を持つものにとって。
 本書の奥付を見れば、冒頭に挙げた文章から薫るような、きわめて高い完成度を持つ短篇「冬至草」と、この、どうにもこうにも素人くさい構成の「希望ホヤ」の発表時期にはほとんど開きがない。作者が、医師生活のあいまを縫って創作を続けている兼業作家であることを思えば、ひょっとすると「希望ホヤ」のほうは、ながらく机の中で眠っていたのではないか、と想像することもできるけれど。なにしろ最初に私が書いた文章のような匂いたつ文章が延々続いたり、ちょっと無理のある話の展開を経済的に裏支えするためだけに主人公が弁護士だったり、死病に取り憑かれながらどんだけ息長いねんと思わせるような娘リンダのひらがなのセリフがひびいたり。きわめつけには、まさかのカリブ海の海女の活躍、そして、あんまり後味の悪くない主人公の悪魔的な独白で作品が閉じられる。いや、これは完成度が低い。CTスキャンの奇跡が、奇跡としてありきたりであるように完成度が低い。でも、感動的である。それは、否定できない。
 海女の唐突な登場を思えば、この話はべつにアメリカ人とカリブ海で構成される必要はなかったのではないか、と思われるが、話の質感を考えればこうでなければいけなかったのかも。つまり、これはOヘンリを装ったモーパッサンなのである。

(『冬至草』 2006年 ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)