21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

津原泰水『バレエ・メカニック』

「一面においてね。だから性衝動に満ちてもいる。いま新宿をさまよっている貴方は理沙ちゃんにとって、父性を感じさせる見知らぬ男ーーアニムスに過ぎない。女性はおおむねアニムスに対して肯定的なの。彼女が貴方を父親として認識しているだろうというのは病院での話、音声レベルの話であって、いつでもどこでも父親扱いしてもらえるなんて考えるのは、甘い」(第一章「バレエ・メカニック」)

 映画の「ノルウェイの森」をみたとき、いちばん感動したのは、あの村上春樹の、正気では口にできないようなセリフを、実際に俳優たちが口にしていたことである。とくに、なかでもいちばんセリフを棒読みしていた、ミドリ役の水原希子がきわめて美しかった。
 もちろん水原希子は美人なのだけれど、DVDの特典映像で普通にしゃべっているのを見ると、発する言葉がそこまで美しくは見えない。とても正気では口にできないようなセリフを、徹底的に棒読みでしゃべることで、成立する美しさもあるのだなあ、というのが発見だったのだ。たぶん。
 さて、乱暴に言えば『バレエ・メカニック』は、第一章でボリス・ヴィアン的に造形された東京の中を、尋常ではない大きさの馬が疾走し、第二章で宮部みゆき的な「点と点」の追跡があり、第三章はちょっと私のアーカイブからは見つからないが、独特のサイバーパンク世界が展開される、という話だ。
 これだけ多種多様な世界に通奏低音として響いているのは、どうみても説明ゼリフである。たとえば冒頭に挙げたのは、理沙の主治医で、女装癖のある龍神のセリフだが、「お前は山崎豊子か?」、とツッコミたくなるくらい、かれは説明している。正直、第一章を読んでいるときにはこれが邪魔で、やっぱりシュルレアリスムとSFの結婚は成田離婚だ、ということを示しているのではないか、と疑っていた。しかし、それぞれに異質な三章を通して読むと、これらを一気通貫できる要素は説明ゼリフしかないのではないか、と感じる。と、いうよりも、全体の語り手であり視点人物である龍神、というのはそういう人なのだろう。説明ゼリフを堂々と言える、ある種服装の趣味以上に倒錯した人物が、中心に据えられていることによって、この危うい三つの物語は成立している。そう考えるしかないのではないか。
 ところで、まったく話は違うけれど、東京の西側の地名というのは、けっこうかっこいい。植物状態の少女の脳と同化した東京が異様な光景を噴出させるなか、バケモノ馬車が疾走する奥多摩、青梅街道、昭和記念公園、吉祥寺、新宿、四谷というのは、字面としてもけっこう美しいと思った。

(『バレエ・メカニック』 ハヤカワ文庫JA