21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

2012-02-01から1ヶ月間の記事一覧

C.L.ムーア「美女ありき」 小尾芙佐訳

彼女はメタル・メッシュの衣の襞が体にまといつくのを静かに待った。衣は遠くで鳴る小さな鈴のように、チリチリとかすかな音をたててすべりおち、刻まれた襞となって淡い金色に輝いて垂れていた。彼も無意識に立ちあがった。そして向かいあって彼女を凝視し…

今日の妄想

漫☆画太郎先生の漫画化で、「千と千尋の神隠し」を読んでみたい。

佐野眞一『あんぽん』

孫はさらに話を続けて、三十年後の電子メディアには、テレビの情報に直して三万年分、音楽の楽曲に換算すると、五千億曲分に相当する情報量が入ると言った。その上で、紙の本に関して言うならば、三十年後には紙の本は美術工芸品の領域に入っている、とまで…

J.G.バラード『人生の奇跡』第十八章「残虐行為展覧会」

感情、そして感情的な共感が枯れ果て、偽物がそれ特有の真正性を帯びる。わたしはさまざまな意味で傍観者であり、静かな郊外で子供を育て、子供同士のパーティーに送ってやり、校門の外で母親たちと立ち話をするのが常だった。だがそれ以外のパーティーにも…

J.G.バラード『人生の奇跡』 第十四章「決定的出会い」

モダニズムの中心には「自己」が横たわっていたが、今そこには強力なライバル、日常世界があった。それは「自己」と同じように心理的構築物で、同じように謎に満ち、ときに精神病質の衝動をしめす。この禍々しき領域、気が向けば次のアウシュヴィッツ、次の…

佐野眞一『巨怪伝』第十一章「国士と電影」

最近、夕食を食べながら、古いNHK大河ドラマを眺めているのだが、ひょっとすると戦争というのはたいがい電撃戦で、平和ボケしている人々を突然の嵐のように何者かが襲うところからはじまるのではないか。子供のころから「信長の野望」に毒されて、陣取りゲー…

古井由吉『始まりの言葉』 「「時」の沈黙」

ここにも矛盾はある。科学は究極不滅の原理である存在への探求を断念したところから、近代へと離陸したはずなのだ。「創造」を解除されたとでも言うべきか。究極の作動主である一者の干渉の絶えた空間と時間へ探求を限定したその上で、そこに生じた無差異、…

J.G.バラード『人生の奇跡』 第八章「アメリカの空爆(一九四四)」

迫りくる米軍機の機影は、わが思春期の憧れにあらたな焦点を結んだ。頭上、地上三十メートル足らずの低空を電光石火で飛びすぎるムスタングの姿は、あきらかにこれまでとまったく異なるテクノロジーの論理にのっとっていた。エンジンのパワー(英国で設計さ…

『伊藤計劃記録 第弐位相』

本田美奈子の死と、宇宙戦争という映画は、ぼくのからだに起きた理不尽なできごとを経由して繋がっている。あなたは、体と心中するしかない。叙事的な映画というのは、そういうことを嫌でも感じさせてくれる。(11-10, 2005) 前巻の(、というべきか)『伊藤…

古井由吉『始まりの言葉』 「二〇世紀の岬を回り」

しかし探検の航海であるからには、仮りに幻想はもはやなくても希望は希望の、欲望は欲望の、もはや自動的(オートマティック)なものに化しても意志は意志の、冷たく凝固した顔なのだろう。大航海時代の冒険精神と人は取る。その背後にはしかし科学精神の展…