21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

K.イシグロ『忘れられた巨人』 第一章

 理由はよく分からないのですが、オフィスが停電するということで、久方ぶりの定時帰宅。ああ、欧州の初夏、夕べはこれほどに長いのですね。長らく私は季節の感覚をなくしておりました。神、もしくはビルメンの人に感謝を捧げながら、せっかく得た時間をブログ書きに捧げようと思います。

アクセルはようやくベアトリスのそばに寄り、妻を両腕に掻き抱いた。村人がしだいに引いていった。あのときの騒ぎを思い出すたび、アクセルには二人が長い間そうやって抱き合っていたように思える。見知らぬ女が村に来た日のように、ベアトリスは頭をこの胸にもたれさせていたような気がする。ただくたびれただけ、ただ息を整えているだけ・・・・・・そんな感じで押し当てていた。(31ページ)

 アーサー王の時世から一世代、イングランドは雌竜クエリグの吐く、忘却の霧に覆われていた。すべての記憶をあいまいなものにしてしまう霧の中に暮らす、アクセルとベアトリスの夫婦は、血と肉をわけたはずの息子の住む村へ、旅立つことを決めた・・・
 読みはじめて数ページで、「複数回読まなければ分からないよ」、と語りかけてくるタイプの小説である。実際のところ、一度読んで、それほどピンとこなかったのだが、二周目を読みはじめて密度の濃さに気づく。どうにもわれわれは、意外な結末というのに馴らされているので、記憶をなくした夫婦の記憶がどんな秘密を抱えていても、タネ明かしの段には思わず「ふーん」と言ってしまいがちだ。それも否定的なニュアンスで。
 この小説についても、漫然と読んでいて、結末にたどり着いた時は、「ふーん」としか言いようがない。ただ、忘却の霧で人々が記憶をなくしている、という設定はおそらく、意外なオチをつくるためではなく、様々な過去を重ね塗りして、独特の絵柄をつくるためにあるように思われる。
 第一章のアクセルは、妻が寝ている春の朝、ほら穴式の村の入り口に置かれたベンチに腰掛けて、過去のおぼろげな記憶をめぐらせている。(1)病気を治療してくれる赤毛の女は、村で重宝されていたのに、自分以外の誰も覚えていないらしく、妻はアクセルの妄想だと否定する。(2)いなくなったはずの少女マルタと、ヌエワシを見たという羊飼いのことは、一体いつのことか分からない。(3)ベアトリスと話し込んでいた、黒いぼろを着た女のことは不吉な記憶だが、夫婦が旅立ちを思い立った日のことでもある。これらの記憶は、(4)数週間前の日曜日に、蝋燭の使用をめぐって村人と対立した妻を保護し、抱きしめるアクセルの胸に重ね塗りされている。
 記憶そのものがおぼろげに描かれているので分かりづらいが、(2)をのぞいた(1)(3)(4)のエピソードの時系列は、意外にしっかり示されている。アクセルが思い出している現在時は、春の朝だが、(1)の赤毛の女について妻に尋ねたのは昨年の秋、赤毛の女が村にいたのはその一月ほど前、(3)の黒い女が来たのは昨年の11月、(4)は数週間前で、すべては半年ほどのできごとなのである。

ベアトリスはアクセルの胸でそうつぶやいた。それはアクセルの心を騒がせ、多くの記憶の断片をあふれさせた。あまりの量の多さにアクセルは気を失いそうになった。抱いたまま倒れて妻を道連れにすることが怖くて、妻を抱く腕を緩め、一歩下がった。(32ページ)