21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

2009-01-01から1年間の記事一覧

小島信夫『残光』 第一章

この言葉はどこに書かれているか。ひょっとしたら『作家の日記』かもしれないがよく分からない。『カラマーゾフの兄弟』をじっと考えて、この返答を考えてみるといい、と私は思う。(18-19ページ) 『抱擁家族』はひじょうに好きな小説であるため、先日、日…

A.チェーホフ『ワーニャ伯父さん/三人姉妹』 「ワーニャ伯父さん」

嫌いだな、そういう哲学。(33ページ) 私がいまの会社に入るのを決めたとき、読んでいたのが車谷長吉の「漂流物」で、そのなかのひとりの登場人物が、「入社式のとき、『ああこれでおれの人生は終わった』、と思った」と言っている。今回、この「ワーニャ伯…

J.ラヒリ『停電の夜に』 第3話「病気の通訳」

ほんの一瞬でいいから、ぴたりと停止した抱擁を、わが神像に見てもらいたいという気持ちに駆られた。(98ページ) 人間は身勝手な生き物で、病院で病人の通訳をしているカパーシーの身勝手な妄想と、旅行者の奥さんの身勝手な告白がからみ合うことによって、…

『桂米朝コレクション2 奇想天外』 「地獄八景亡者戯」

「幽霊のラインダンスに骸骨のストリップやて。……何を見せまんのやろなァ」「じごくばっけいもうじゃのたわむれ」と読む。おどろおどろしい題名だが、閻魔の法廷にたどり着くまでの道中を書いた滑稽譚である。おなじ文庫のシリーズの、このあいだの志ん朝が…

J.ラヒリ『停電の夜に』 第2話「ピルザダさんが食事に来たころ」

口に入れ、ぎりぎり待てるだけ待ってから、やわらかくなったチョコレートをゆっくり噛んで、ピルザダさんの家族が無事でいますようにと祈ったのである。(56ページ) "When Mr.Pirazada Came to Dine"というような題名のつけ方はアメリカ人の発明なのか。た…

ダイジェスト版

さて、仕事がどんどん忙しくなってまいりまして、また日本にも5日くらいですが帰っていたもので、書けずにおります。ほんの僅かですが、ここに書いた以外にも読んでいるので、まとめて紹介させてもらいます。 異国に暮らす者として、捨て置けないのは黒田龍…

永井荷風『ふらんす物語』 「船と車」

例えば、見渡す広い麦畑の麦の、黄金色に熟している間をば、細い小道の迂曲して行く具合といい、已に収穫をおわった処には、点々血の滴るが如く、真っ赤な紅罌粟(コックリコ)の花の咲いている様子といい、または、その頂まで美事に耕されて、さまざまの野…

J.M.クッツェー『鉄の時代』 第3部

あらゆる追想に先立ち、驚愕して立ちつくすその瞬間に、人形は永遠に存在する。ひとつの生命が奪われるとき、生命は彼らのものではなく、名ばかりのものとして彼らが残される場となる。彼らの知識は実態なき知識であり、現世の重みをもたず、人形の頭のよう…

J.M.クッツェー『鉄の時代』 第1部

冥界(ハデス)、地獄――観念(イデア)の領域なのだ。なぜ、地獄が南極大陸の氷のなかや、火山の噴火口といった場所でなければならなかったのか。なぜ、地獄がアフリカの下端にあってはいけないのか。それになぜ、地獄の生きものが生者のあいだを歩きまわっ…

古今亭志ん朝『志ん朝の落語Ⅰ』 「真景累ヶ淵 豊志賀の死」

「へえ。あっしらァね、長年商売(しょうべえ)だからわかるんですよ、ええ。乗ってますよ、肩にきますから、へえ。うーっと、あれ? はあ?…気のせいだ、へえ…。ふうん、乗ってませんね」 いちおう関西人なもので、落語といえば米朝一門なのだが、たまには…

Alaa Al Aswany "The Yacoubian Building"(2)

Yacoubian Buildingには金持ちから貧乏人まで、いろんな階層の人が住んでいるのだが、その中の一人、門番の息子タハは警察官になるのが夢である。日銭を稼ぐ仕事に追われながらも、学校での成績はトップ、彼の才能をやっかむ人びとの意地悪にもめげず、ひた…

村上春樹『1Q84』 BOOK1 第19章「(青豆)秘密を分かち合う女たち」

しかしそれでも月だけはくっきりと見えた。(BOOK2 第18章「(天吾)寡黙な一人ぼっちの衛星」) この本を読んでいると、いろいろな本を思い出す。それは引用されているような文学作品ではなくて、20世紀の日本のミステリだ。桐野夏生『OUT』、宮部みゆき…

Alaa Al Aswany "The Yacoubian Building"(1)

"Would you be willing to write disclaimer?" "A disclaimer?" "That's right. I'll agree to publication if you write a disclaimer in your own handwriting condemning what the hero of the novel says about Egypt and the Egyptians." "Very well."(…

(1)カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』 2005年、英国

20世紀という時代には、ロボットはおろか山椒魚まで、抵抗し叛乱を起こす存在だったのである。だが21世紀には、おそらく「叛乱」というテーマがそぐわない。 ヘールシャム、という寄宿学校では、臓器移植のために生み出されたクローンたちが育てられている。…

(0)カタログの選定にあたって

このブログもはずかしいタイトルがついている以上、なにかしら「研究所」らしきことをやらねば、という気になった。すくなくとも読者様に、自信を持ってお勧めできる作品を提示するくらいのことがあっていい。ただしあまり無責任になってもよくないので、1…

Kazuo Ishiguro "Never Let Me Go"

「いいこと教えようか、キャス。ヘールシャムでサッカーをやってたときな、おれには一つ秘密があった。ゴールを決めるだろ? そうしたらこういう恰好で振り向いてな……」トミーは歓喜のポーズで両腕を突き上げました。「で、仲間のところへ駆け戻るんだ。わけ…

村上春樹『1Q84』 BOOK1第9章「(青豆)風景が変わり、ルールが変わった」

もし人生がエピソードの多彩さによって計れるものなら、彼の人生はそれなりに豊かなものだったと言えるかもしれない。(第8章) さて、日本で話題になっている、のかどうか本当のところは見てないから定かではないが、とにかく『1Q84』を借りることがで…

水村美苗『日本語が亡びるとき』 六章

ケヴィン・ケリーが描く理想郷は、実は、理想郷どころか、情報過剰の地獄である。(247ページ) まったくない、というのは危惧すべきことだが、あまりない、というのは意外に愉しいものだ。 段ボール箱いっぱいの未読の本、そして2〜3箱のお気に入りの本と…

水村美苗『日本語が亡びるとき』 一章

そして、読む快楽を与えない文章は文章ではない。(六章 インターネット時代の英語と<国語>) このブログでは、できるだけ「随筆」というカテゴリ分けをしないでおいたのだが(だいそれた理由はないが、どのような雑文でもゴミバコ的に入ってしまいそうだ…

A.ベンダー 『私自身の見えない徴』 序章

「それなら」とおとうさんがいいました。「こういうのはどうでしょうか。うちはみんながそれぞれ体の一部を提供します。それをぜんぶ合わせれば、ちょうどひとり分が町から消えるのとおなじことになる」(7ページ) "An Invisibile Sign of My Own"の翻訳と…

堀江敏幸『雪沼とその周辺』 第二話「イラクサの庭」

雪は好きなのに雨が苦手なんて、妙なことでしたな。(46ページ) 徹底的に研ぎ澄まされた聴覚の後は、味覚の話。東京での料理教室を閉めて、フランスの匂いを田舎町に持ち込みながら、ちいさな料理店兼教室を開いた小留知先生の、突然の死のあとの町の人びと…

安藤元雄・入沢康夫・渋沢孝輔編『フランス名詩選』 17「みずうみ」

「おお、時間よ、飛翔をとどめよ。おまえたち、 幸福の刻一刻よ、あゆみをとどめよ。 わたくしたちの一生でもっとも美しい日のつかのまの愉悦を、 心行くまで味わわせておくれ。 (アルフォンス・ド・ラマルチーヌ「みずうみ」) カタログとか、名詩選とかを…

堀江敏幸『雪沼とその周辺』 第一話「スタンス・ドット」

ただひとつ確かだったのは、ハイオクさんの投げた球だけが、他と異なる音色でピンをはじく、ということだ。ピンが飛ぶ瞬間の映像はおなじなのに、その一拍あと、レーンの奥から迫り出してくる音が拡散しないで、おおきな空気の塊になってこちら側へ匍匐して…

ダイジェスト版

さて、前にも書いたかも知れませんが、五月末から海外駐在となっております。休みの日など、他にすることがないもので、本はけっこう読んでいるのですが、なかなか落ち着いて感想文をしたためる機会もありません。結果、赴任後6回しか更新していない有様です…

吉田健一『英語と英国と英国人』

英語は今日、世界に住んでいるものの半分が毎日使っているもので、探検隊を組織して密林に分け入り、重い石を担いで帰って来て、その石に刻まれた各種の印を場合によっては何十年も掛って解読するのとは訳が違う。英語を習う位のことにシャムポリオンの態度…

V.スワラップ『ぼくと1ルピーの神様』 第5章「オーストラリア英語の話し方」

彼女が心からそう言っているのか、映画のセリフを引用しているだけなのか、僕には分からない。(「悲劇の女王」) さて、言わずと知れた「スラムドック・ミリオネア」の原作本だが、小説としていい出来とは言い難い。クイズと、インドの貧しい少年の人生を並…

横山秀夫『震度0』

さて、ここのところ3冊ばかり、横山秀夫のミステリーを読んだのだが、彼の作風は(筒井康隆+都築道夫)÷2なのではないか、と思うに至った。おそらく都築道夫は『ルパンの消息』の設定から、そして筒井康隆はこの『震度0』の書きぶりから、そんな無責任な…

カズオ・イシグロ『日の名残り』

そのように忠誠を誓うことのどこに、品格に欠けるところがありましょうか? それは、不可避の真実を真実として受け止めることにほかなりますまい。私どもが世界の大問題を理解できる立場に立つことは、絶対にありえないのです。とすれば、私どもがたどりうる…

加賀まりこ『純情ババアになりました』

《人類多しといえども鬼にも非ず蛇にも非ず、殊更に我を害せんとする悪敵はなきものなり。恐れ憚ることなく、心事を丸出しにして颯々と応接すべし》(「つんのめるように生きてきた」から福澤諭吉の引用) 『沸騰時代の肖像』という、60年代のスターの写真を…

堀江敏幸『いつか王子駅で』

なすべきことを持たずに一日を迎え、目の前に立ちふさがる不可視の塊である時間をつぶすために必要な熱量は、具体的ななにかを片づける場合よりはるかに大きい。いま私がひどく不機嫌になりかかっているのは、この目的のない純粋な暇つぶしというう美しい行…