21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

小島信夫『残光』 第一章

この言葉はどこに書かれているか。ひょっとしたら『作家の日記』かもしれないがよく分からない。『カラマーゾフの兄弟』をじっと考えて、この返答を考えてみるといい、と私は思う。(18-19ページ)

 『抱擁家族』はひじょうに好きな小説であるため、先日、日本に出張に行ったとき、その作家の遺作である『残光』の文庫化を買い求めたのだが、意外なことに、ここにも浦先生の岩波新書チェーホフ』が登場するのであった。先日読んだ『1Q84』にもチェーホフが登場したし、あたかもとつぜんみながしめし合わせて、ロシア文学を読み始めたかのような気がする。
 さて、登場人物の一人でもあり、解説の書き手でもある山崎勉氏が言うように、「同時進行」の手法で描かれ、最後のほうは「記憶のごった煮」のようになっている本書は、非常に難解ではあるのだが、もちろん九十歳で書いたからと言ってモウロクしているというような失礼なことではなく、第二章など意図的に反復、中断、引用がくりかえされ、いったい誰が「わたし」なのか分からなくなるくらい「ごった煮」にされていて、それゆえに切実である。とくに、第一章以来くりかえし用いられる引用点のぼかし、によってありとあらゆる想念・思考を集約させる方法が強烈である。たとえば一番上にあげた部分など、「バフチンからの孫引きだろう」とツッコミをいれたくなるが、モウロクしてみせることによって、たんなる孫引きに終わらず、ドストエフスキーのほぼ全作品を一転に集約させて爆発させているのである。
 さて、『チェーホフ』に戻れば、このくだり5ページほどで、実に作家自身の『私の作家遍歴』から、中村白葉訳の「嚝野」(大草原)、保坂和志カンバセイション・ピース』、そして「ゴーゴリの何とかいう小説」などが登場する。さらにここから岩波新書チェーホフ』の「呼びかけ」に端を発し、「犬を連れた奥さん」、ピーター・ブルックシェイクスピアバフチンドストエフスキー、アルツイバーシェフ、クロード・シモンと混線気味にバトンが渡されて、「日曜大工式」に書き進めるという作家自身の方法論が宣言される。その裏に、記憶の病で施設に入っている作家の妻の姿をほの見せながら。

一方において、ぼくは出版社からまとまった長さの作品を約束させられた。ぼくは今を乗りきるために約束の小説をはじめるよりほかに道ははなかった。もはや妻には直接、手をさしのべることはないのだから。(「あとがき」)

(『残光』 新潮文庫