21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

佐藤亜紀『ミノタウロス』

人間の尊厳なぞ糞食らえだ。ぼくたちはみんな、別々の工場で同型の金型から鋳抜かれた部品のように作られる。大きさも。重さも、強度も、役割もみんな一緒だ。だからすり減れば幾らでも取り換えが利く。彼の代わりにぼくがいても、ぼくの代わりに彼がいても、誰も怪しまないし、誰も困らない。(Ⅰ)

 ピカレスク・ロマンを好きなやつって頭が悪いと思う。どのくらい悪いかと言うと、中学のときヤンキー漫画満載の『少年マガジン』を読み終えて、「マガジン読むとケンカつよくなった気がする」、と言っていた級友くらい。でも、私はピカレスク小説がけっこう好きだし、読むと自分が強くなったような妄想に捉えられる。
 さて、「自分が強くなったような気分」になりたいとき(または、ならざるを得ないとき)、佐藤亜紀の『ミノタウロス』はとても有効な小説だ。舞台はロシア革命直後のウクライナ。成り上がりで地主になった男の次男である「ぼく」は、すべてが思いのままになる持ち村のなかで放逸に暮らしながらも、夥しい読書のもとに独自の知性を磨き上げていたが、村に均衡をもたらしていたオーストリア軍の撤退から、彼の運命は狂いはじめる。「育ての親」を殺し、村を出た「ぼく」は、はぐれオーストリア兵で飛行機マニアのウルリヒと、狡賢いフェディコを道連れに、赤軍、白軍、そしてならず者の集団が群雄割拠するなかを生き抜いていく。
 日本人が書いたとは思えないような時代と場所の設定だが、オートモービルが走り、複葉機が飛び、機銃を乗せた馬車が失踪する世界は、リアルであるというよりは、宮崎アニメの世界にノワールの要素をぶっかけたような感じだ。この独特の世界における活劇が面白いのに加えて、地主のシチェルパートフ、老オトレーシコフ大尉、そしてウルリヒといった脇役たちのキャラクターが、相当によく作りこまれているので、読んでいて飽きることがない。
 ただひとつ弱点を言えば、「神性」という言葉の安っぽい使いようか。なんだか凄惨だったり、神憑っていたり、あるいはただ単に普通の人とは違う、ということを表すのにすべて「神性」を使っているように見える。ここは、もう少し工夫が欲しいところだ。

見栄を張った映画屋は何かと言うと歴史物や神話物を撮りたがる― そうすれば崇高なる芸術に近付けると思い込んでいるのだ。(Ⅵ)

(『ミノタウロス』 講談社文庫)