21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

吉田修一『悪人』

かつてこれほどまでに「人恋しい」小説はなかったと言いたくなるほどの切なさと、希望のない生活のなかでの適度な自己の突き放し。レヴィの本には、表面的な諧謔はあっても「人恋しさ」がない。人恋しさのない孤独は、深いようでいて浅いのだ。(「人恋しさについて」)

 吉田修一のこの小説に関しては、別なしかたで紹介しようと思っていたのだが、たまたま堀江敏幸の『子午線を求めて』を読んでいて、この小説を飾るにもっともふさわしい表現にであったので、その引用から始めることにした。『悪人』は人恋しい小説である。
 福岡のOL、石橋佳乃は出逢い系で会った男、祐一に殺される。彼女はとくに魅力的には描かれていないのだが、彼女の死はもちろん身近なひとびとに痛みを与える。一方、両親に捨てられた過去を持つ祐一は、さびしさゆえに、風俗や出逢い系で出会った女性に真剣に恋をしている。彼のさびしさを拾うのは、おなじくさびしい思いをしている光代で、彼女はラスコーリニコフに自白を勧めるソーニャとは異なり、時間の許す限り祐一と逃避行を共有しようと試みる。
 どちらかといえば桐野夏生東野圭吾ふうのサスペンスで、書いている内容はどうってことないわりにバランス感覚に優れた吉田修一の作品としては、きわめてバランスが悪い。大袈裟なラストシーンや、安っぽい回想、ヤンキー漫画の脇役のような敵役など、読むうえで邪魔にしかならないものがいっぱい登場する。
 それでも、ここに描かれた人恋しさはどうしようもなく切ない。ドラマが陳腐であればあるほど、人恋しさは後を引く。それだけでこの小説には価値がある。

雪の中、増尾の足にしがみついとったお父さんの姿を見て、うまく言葉にはできんとですけど、生まれて初めて人の匂いがしたっていうか、それまで人の匂いなんて気にしたこともなかったけど、あのとき、なぜかはっきりと佳乃さんのお父さんの匂いがして。(最終章「私が出会った悪人」)

(『悪人』上・下 朝日文庫