21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

ダイジェスト版

 さて、前にも書いたかも知れませんが、五月末から海外駐在となっております。休みの日など、他にすることがないもので、本はけっこう読んでいるのですが、なかなか落ち着いて感想文をしたためる機会もありません。結果、赴任後6回しか更新していない有様です。これからはもっと更新しようと思いつつ、これまでに読んだ本についてダイジェストでまとめてみます。それぞれの本については、また落ち着いて書く機会もある、かも知れません。

 赴任後のばたばたしている時期に、日本語の補給として読んでいたのは推理小説。とくに組織の中の人間の悲哀を描く横山秀夫に心惹かれた。かの有名な『半落ち』は、その構成と語り口に強く惹かれたものの、オチはちょっとがっかり。学園ものだが、『ルパンの消息』もおもしろい。それ以外には「本が足りないと困る!」という奇妙な焦燥感から、成田空港で購入した東野圭吾『手紙』『探偵ガリレオ』、宮部みゆき『日暮し』など。『手紙』は主人公の追いつめ方がよくできた小説だが、タイトルの「手紙」自体はそれほど機能していないのではないか、と思う。宮部みゆきについては現代もの派なのだが、『日暮し』は世の中に存在するちょっとした恐怖、というか不快感を徹底的に拡大解釈していく宮部ワールドが展開されていておもしろい。その他、篠田節子『女たちのジハード』もドラマがよくできていてきわめて面白かった。
 関西人必読の書、松本修探偵!ナイトスクープ アホの遺伝子』も心癒される一冊(というか上下で2冊)。小ネタVTRを撮るディレクターたちが、いかにしてその技術を高めていくか、という「プロジェクトX」的内容。
 『いつか王子駅で』についてすでにふれたが、美しい日本語の供給源としては堀江敏幸。『雪沼とその周辺』は連作短篇集だが、本の最初におかれた、寂れたボーリング場での最後のゲームを描いた一篇をはじめ、研ぎ澄まされた聴覚を感じさせる日本語が、海外にいると余計に美しく響いた。読み損ねていたエイミー・ベンダーの長編『私自身の見えない徴』もやっと読めたものの、この人のイメージ力は短篇でより発揮されるのでは、という感触だった。場合によっては、英語で読んだ方がいいのかも知れない。
 むろん日本語の本が際限なく手に入るわけではない、というよりは、日本から送らないと手に入らないので、一生懸命英語のペーパーバックも読んでみた。意外にすいすい読めたのは、サマセット・モーム「The Moon and Sixpence」。たとえ主人公がゴーギャンだとしても、語り手の男がなぜ彼をパリからタヒチまで追っかけなければいけないのか、そのあたりは納得いかないものの、読者もつられて追いかけざるを得ないストーリーテリングが絶妙。講談社英語文庫で買って放り出しておいた「Mary Poppins」もやっと読んだ。子供のころ読んだときは、メリー・ポピンズという人の魅力は分からなかったが、今読んでみるとそっけない魔法使いの彼女の方が、サービス精神満載のドリトル先生よりも魅力的かも知れない。日本語だが『日の名残り』も読んだし、考えてみればイギリス文学ばかり読んでいるかも。
 夏休みにエジプトに行ったので、そこで出逢ったアラ・アル・アスワニ(日本語表記がこれでいいか分からない)の「The Yacoubian Building」も通読。革命前は特権階級だったが、いまは普通の金持ちになった色好みの技師、警察学校を目指す門番の息子とその恋人、野心に燃える実業家、ゲイのジャーナリストなどひとつの建物に暮らす人々の運命が、それほどわざとらしくなく(「陰日向に咲く」感じではなく)交錯し、現代エジプトを描きだす。かなりお勧めの一編である。
 これまた放り出しておいた、長谷川宏『いまこそ読みたい哲学の名著』、北山晴一『世界の食文化 フランス』なども読了。やはり書くことはいっぱいある。