21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

カズオ・イシグロ『日の名残り』

そのように忠誠を誓うことのどこに、品格に欠けるところがありましょうか? それは、不可避の真実を真実として受け止めることにほかなりますまい。私どもが世界の大問題を理解できる立場に立つことは、絶対にありえないのです。とすれば、私どもがたどりうる最善の道は、賢く高潔であるとみずからが判断した雇主に全幅の信頼を寄せ、能力のかぎりその雇主に尽くすことではありますまいか。(三日目 ―夜)

 カズオ・イシグロの「日の名残り」は、休暇中の執事のわずか六日間の旅と回想を記していて、かぎりなく抑制された(悪く言えば動きのない)作品だと思われている。だが、その陰ではナチス協力の疑いが持たれるダーリントン卿の物語、そして戦後その館を執事ごと購入したアメリカ人ファラディの物語が隠されていて、文学史上またとないほど世界が動いている。執事スティーヴンスの運転するフォードは、わずかな道のりを走るに過ぎないが、語られる時間は長く、そして重く、深く考えずに文章の美しさだけを追っていると、その歴史を看過していることに不思議な爽快感さえ覚えるほどなのだ。
 ただしわれわれは、いつもおそらくそうやって生きている。もしかしたら私の裏側で、世界が変わりつつあるのかも知れないのだけれど、とりあえず身近なものを信頼し看過することで、人生の美しさを満喫する。また、それは時折、ふとしたことで揺さぶられるのだろう。この小説はそんな生活と、場面のくりかえしを描いている。

「だいたい、ヒットラーと戦ったのだって、そのためだったんでしょう? ヒットラーの言うなりになっていたら、今頃、みんな奴隷ですよ。世界全体が、一握りの主人と何百何千万の奴隷に分かれちまう。いまさら言うまでもありませんが、奴隷には品格も尊厳もあったもんじゃないですからねえ。だからヒットラーと戦って、やっと守ったんだ。自由な市民でいる権利をね。それがイギリス人に生まれた特権ってもんですよ。」(三日目 ―夜)

(『日の名残り』ハヤカワepi文庫 土屋政雄訳)