21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

20世紀文学

笙野頼子『タイムスリップ・コンビナート』

なにが平成だ、随分言ってくれる、と思いつつもどうでもいいやという感じでつい聞き流してしまう。だって嫌だったら断ってしまえばいいのである。どうせ何の覚えもない相手なのだから。(15ページ) 「タイムスリップ・コンビナート」の初出は1994年、つまり…

福永武彦『草の花』

僕は夢中になって生きていたし、世界というのはそういうもの、憎悪も残酷も無慈悲もなくて、愛されあれば足りるものと、そう思っていたんだ。今は違う、今は、僕の世界と外部の現実とはまったく別のものだということが、僕にははっきり分かっている。僕達は…

K.イシグロ『わたしたちが孤児だったころ』Part 3

警部、あなたほどの力量のある方はめったにいません。悪と戦う義務を課せられているわたしたちのような人間は、その・・・なんと言ったらいいですかね? ブラインドの羽根板を束ねている撚り糸のような存在なんですよ。わたしたちがしっかり束ねるのに失敗し…

K.イシグロ『わたしたちが孤児だったころ』 Part2

もう遅い。最後の文章を書きとめてから、かなり時間が経ってしまった。それなのにわたしはまだこうして机の前に座っている。いつのまにかこれらの思い出に浸っていたのだろう。その思い出の中には、何年も頭に浮かんでこなかったものもある。(Part2 9) 昨日…

K.イシグロ『わたしたちが孤児だったころ』 Part 1

そうはいっても、このようなことはおそらくいずれ起こっただろう。実を言えば、ここ一年ほど急激に過去の思い出で頭がいっぱいになっていたからだ。そうなったのは、子供時代や両親の思い出が、最近ぼやけはじめたのに気がついたからだった。ほんの二、三年…

船戸与一『山猫の夏』

舞台はブラジル北東部の町、エクルウ。この町は100年のむかしから、アンドラーデ家とビーステルフェルト家に支配されてきた。町の権益をめぐり、血で血を洗う抗争をくり返す両家。だが、ある夏の日、アンドラーデの一人息子フェルナンと、ビーステルフェルト…

M.プルースト『失われた時を求めて』 「スワン家のほうへ」(2)

ブログを書こうと決意すると、何らかのバチでも当たるのか、前回の更新をしてから日付を跨がないと家に帰れないような日々が続いていました。それで、ゴールデンウィークは、人生の一大イベントをやったりしていたもので、何と1か月で数十ページしか読み進ん…

M.プルースト『失われた時を求めて』 「スワン家のほうへ」(1)

かりに眠れないまま明けがた近くになり、本を読んでいる最中、ふだん寝ているのとずいぶん違う格好で眠りに落ちたりすると、片腕を持ちあげているだけで太陽の歩みを止め、後退させることさえできるので、目覚めた最初の瞬間には、もはや時刻がわからず、寝…

吉川英治『新・平家物語(三)』

桐のこずえの紫を見るたびに、麻鳥はいいしれない恐怖に打たれた。人にはその褪せ紫の花の傘が、夏隣の象形にも見えるであろうが、かれには、夏を望んでやってきた病魔の肌みたいに見えるのだった。 この花を見るころから秋にかけて、地上には、疫疾、疫痢、…

小林秀雄『モオツァルト・無常という事』 「無常という事」

嘗て、古代の土器類を夢中になって集めていた頃、私を屢々見舞って、土器の曲線の如く心から離れ難かった想いは、文字という至便な表現手段を知らずに、いかに長い間人間は人間であったか、優美や繊細の無言の表現を続けて来たか、という事であった。文字の…

夏目漱石『彼岸過迄』 「停留所」

その上敬太郎は遺伝的に平凡を忌む浪漫趣味(ロマンチック)の青年であった。かつて東京の朝日新聞に児玉音松とか言う人の冒険談が連載された時、彼はまるで丁年未満の中学生のような熱心を以て毎日それを迎え読んでいた。その中でも音松君が洞穴の中から踊…

R.ブローディガン『ビッグ・サーの南軍将軍』

彼女の髪とカリフォルニアはみごとに調和している。(129ページ) 本年5月から、パリに暮らしている。敬愛する詩人や芸術家があくまで憧れたパリである。しかしながら、「人生は一篇のボードレールに及ばない」、という単純な事実に気づいて、遊学を決めこん…

夏目漱石 前期三部作

きのう漱石の「猫」について、じぶんで書いたものを読み返してみて、よい小説というのは運動の線がつながっているのではないか、と考えた。つまり猫は、餅を食って後脚で立って踊るわけであるが、この部分の運動の流れが実に鮮やかである。このあと猫は、台…

夏目漱石『吾輩は猫である』 二

ええ面倒だと両足を一度に使う。すると不思議な事にこの時だけは後足二本で立つ事が出来た。(40ページ)さて、これは漱石の「猫」が空を翔んだ場面で、日本文学のなかでは随分有名な場面であると思う。要は正月の雑煮を盗み食いした猫が、歯にひっかかってど…

三好達治『詩を読む人のために』

これは、いまあらためて読むべき本ではないかと思う。なによりも読んでいて楽しいのは、三好達治の毒舌ぶり。島崎藤村の「千曲川旅情の歌」の、「千曲川いざよふ波の/岸近き宿にのぼりつ」を評して、「視覚的映像としては何だかとりとめがありません」とし…

W.フォークナー『アブサロム、アブサロム!』5

まったく、いろいろと、くどくどしいことだ。傾聴する必要などなかったのだが、いやでも聞かされたのだ。そして、やれやれ、いままた最初からくりかえして聞かされるのか。こいつは父の口調とそっくりだな、女というものは美しい生き方をする。女というもの…

W.フォークナー『アブサロム、アブサロム!』3

彼女は時間を封じこめてしまったようだった。彼女は、蜜月もなければべつに変わったことも起こりはしなかった過去のある年月を、それが実際にあったかのように措定したのだ。するとその歳月をとおして、(現在では)五人になった顔が、あたかも真空中に掛け…

大庭みな子「寂兮寥兮(かたちもなく)」 七

「きっと、世間の人たちは、あたしたちが、夫と妻に裏切られたあたしたちが、当然の成り行きで慰め合っていると思うわよ。もし、かりに、あの人たちがあたしたちのことを知っているにしても」 「そんなところだろう。女房はいつもぼくをずる賢い男だと言って…

大庭みな子「寂兮寥兮(かたちもなく)」一

「明かるい雪の畦道を野辺送りの行列が通って行った。あたり一面銀世界で、田の水だけが黒かった。乳色の柔らかな雲の間から、陽が洩れ、ときどき思い出したように白い雪の花びらが舞い落ちた。 四人の若い男が花嫁の輿をかつぐ晴れやかな顔で、柄のついた板…

S.レム『高い城・文学エッセイ』「高い城」

私たちがこの世に生まれるとき、私たちを支配下に入れる二つの勢力、二つのカテゴリーのうち、空間はまだはるかに理解しやすい。もちろん空間も変化するが、その本質は単純だ。空間は時が経つにつれて縮む一方である。だから私たちのアパートの居住空間はゆ…

C.L.ムーア「美女ありき」 小尾芙佐訳

彼女はメタル・メッシュの衣の襞が体にまといつくのを静かに待った。衣は遠くで鳴る小さな鈴のように、チリチリとかすかな音をたててすべりおち、刻まれた襞となって淡い金色に輝いて垂れていた。彼も無意識に立ちあがった。そして向かいあって彼女を凝視し…

J.G.バラード『楽園への疾走』

「未来? ニール、核兵器なんかとっくに時代遅れよ」 「ぼくにとってはそうじゃないんだ」ニールはリモコンを彼女に向けてミュートボタンを押した。「サン・エスプリ島の重要な点は、あそこではまだ原爆を爆発させていないということなんだ」 「だから?」 …

A.C.クラーク『2001年宇宙の旅』

ニュースパッドこそは、その背後にひそむすばらしいテクノロジーも含めて、完全なコミュニケーションを追求する人類にとって最後の回答ではないか。フロイドはときどきそんな思いにとらわれる。いま彼は宇宙はるかに乗りだし、毎時一万キロを超える速さで地…

F.K.ディック『高い城の男』

「”出口”ね」アベンゼンは皮肉な口調でくり返した。 「先生はあたしに大きなものを与えてくださいました。やっとわかったんです。この世界にあるものをなに一つ恐れてはいけないし、欲しがったり、憎んだり、避けたりしてもいけない。逃げる必要もないし、追…

神林長平『戦闘妖精雪風<改>』Ⅴ「フェアリィ・冬」

南極大陸に突然出現した「通路」から現れた異性体「ジャム」。地球を侵攻するかれらに反撃するため、通路の向こうのフェアリィ星に結成された空軍のみの軍隊FAFに所属する、深井零中尉は、愛機「雪風」を駆って、ジャムとの明日のない闘いを続ける。なんだか…

小松左京『日本沈没』 第五章「沈み行く国」

憲法改正騒ぎがあった。世界SF大会が日本で開催された。消費税があがった。狂牛病がアメリカでようやく深刻な問題になった。ベネズエラが侵攻されて、自由世界を脅かす諸悪の根源にされた。小学生が幼稚園児を殺した。銀行の数がまた減った。アニメとゲーム…

小松左京『日本沈没』 第三章「政府」

まして戦後の三十余年間、日本の、とくに大都会の人びとは、巨大な災害に対して、瞬時に身を処するマナー――戦前までに、大火や地震や水害などの数百年間を通じて形成されてきた「災害文化」ともいうべきものをきれいに失ってしまっていた。まさかの時、自分…

小松左京『日本沈没』 第二章「東京」

「マイホーム」化した社会の中では、主役の座は女性によってうばわれつつあり、男はいつまでも、家庭の中で過保護状態で育てられた子供のように、ひよわでいつまでたっても幼児的であり、あるいは女性化するのは当然である。このままでは、男はますます小ア…

小松左京『日本沈没』 第一章「日本海溝」

だが今回の場合は、何か異様だった。一つ一つの分野で見ればいかにも毎年くりかえされる、自然災害との闘いのバリエーションにすぎないようだったが、その影響のあらわれはじめた分野すべてを合わせて遠望してみると、そこに嵌絵のように、何か不気味なもの…

小林泰三『玩具修理者』 「酔歩する男」

「それはつまり、記憶のメカニズムが関係するんだろう。過去のことは記憶できるが、未来は記憶できない。これは不思議でもなんでもない。記憶とは記録のことだ。記録する能力を持つものは意識だけじゃない。オーディオ・テープ、ビデオ・テープ、それに紙だ…