21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

堀江敏幸『雪沼とその周辺』 第二話「イラクサの庭」

雪は好きなのに雨が苦手なんて、妙なことでしたな。(46ページ)

 徹底的に研ぎ澄まされた聴覚の後は、味覚の話。東京での料理教室を閉めて、フランスの匂いを田舎町に持ち込みながら、ちいさな料理店兼教室を開いた小留知先生の、突然の死のあとの町の人びとの会話で物語はなる。しかし、店の名前に由来するイラクサのスープのつくり方、そして味わいの描写は感覚に訴えるものの、今度は背景におかれた「音」が、先生の嫌いな雨とあいまって、やはり重要な効果をあたえる。冒頭の静かな雨の描写は21世紀日本文学の精髄、といってよいくらい美しいが、あえて引かない。おそらく静かな物語に急速なリズムを与えている雨のことを強調しすぎれば、ささやかなイラクサの味、そして雨と重厚にむすびつけられた、氷砂糖のおしつけがましくない甘さがすべて流れてしまい、なんだか凡庸な物語になってしまいそうだからだ。
 そう、この物語は「母の愛」を書いている。マザコン全盛の21世紀では大流行の味付けだが、氷砂糖をつかったこの作品には、もうすこし伝統的な匂いがする。そして、背景では雨がリズムを整えているのだ。
 ところで、「庸子」という人物をみて、工藤庸子教授を想像するのは私だけだろうか。

紅茶をカップに注ごうとして、底に残ったわずかな液体が落ちる音より、外の雨のほうがつよくなっていることに気づく。(59ページ)