21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

加賀まりこ『純情ババアになりました』

《人類多しといえども鬼にも非ず蛇にも非ず、殊更に我を害せんとする悪敵はなきものなり。恐れ憚ることなく、心事を丸出しにして颯々と応接すべし》(「つんのめるように生きてきた」から福澤諭吉の引用)

 『沸騰時代の肖像』という、60年代のスターの写真を集めた写真集があって、その表紙を驚くばかりの美しさで飾っているのが加賀まりこさん。この本はその「自伝的」エッセイ集だが、きわめて面白い。とりわけ面白いのは少女時代、および新人女優だった時代のエピソードだろう。川端康成に、「そのスカート、もうちょっと上げてごらん」、と言われたというかの有名なエピソードはもとより、フランスに一人いきなり留学して、TシャツとGパンでカルチェの本店を訪ねてみたり、突然「映画に出てくれ」と彼女を呼び止めた寺山修司篠田正浩に、「あなた方、どうして私みたいなド素人を使おうと思うんですか?」と尋ねてみたり。なにかしら、ひとつひとつのエピソードが絵として成立するのである。たとえば今ならTシャツとGパンの日本人がカルチェの本店を訪れても、店員は内心バカにしながらも相手にするだろうし、映画監督と原作者が道端でスカウトをしたら、きっとAVの勧誘と間違われるだろう。
 要は、「恐れ多いもの」があった時代なのだと思う。だから、その権力(というか権威)に歯向うものがあれば、それは一幅の絵になる。おなじノーベル賞作家でも、大江健三郎に川端と同じ発言はできない。(したら多分、週刊文春とかに書かれる。グラビアで)。権威がかならずしも良いとは思わないけれど、美しいものを光かがやかせる上では必要だったのかも知れない。そんなことを思わせる一冊である。

夕食がパスタの日でも、そうだった。だからその頃、我が家にはいつもご飯がいっぱいあった。一緒に住んでからは、雨の日も風の日も、私が出かけるときは玄関まで出て見送ってくれた。それも車が見えなくなるまで、まるで皇族のように小さく手を振ってくれていた姿を思い出す。母の死から数年後、私はそんな母の面影がそこかしこに残る家を思い切って建て直した。(23ページ)

(『純情ババアになりました』 講談社文庫)