21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

J.M.クッツェー『鉄の時代』 第1部

冥界(ハデス)、地獄――観念(イデア)の領域なのだ。なぜ、地獄が南極大陸の氷のなかや、火山の噴火口といった場所でなければならなかったのか。なぜ、地獄がアフリカの下端にあってはいけないのか。それになぜ、地獄の生きものが生者のあいだを歩きまわってはいけないのか。(第3部)

 癌というのはつきまとう病気だ。たとえ我が身にそれが存在していなくとも、多くの人が恐怖としてその影をひきずって歩いている。
 物語の冒頭から、語り手のカレン夫人は癌の再発を告知され、その約束された死に向けて遺書をつづる、というかたちでこの小説はできあがっている。遺書はアパルトヘイト南アフリカを捨て、アメリカへ移住した娘に宛てられているのだが、じぶんの死を誰とも分かち合わず、一人で受け止める、と彼女が決意するとおり、生前に老婦人がこの手紙を投函することはない。ただ家に住みついた浮浪者に、死後それをアメリカに向けて小包で送るようにと託すだけだ。
 老婦人はすべての罪、原罪にも似た「恥」をみずからで受け止めようとしており、そのことが黄金時代から堕落した「鉄の時代」を雪ぐ唯一のすべだと考えている。いや、むしろ罪を雪ぐことができないことを分かっているからこそ、自己嫌悪の結晶化した病を、そしてそれがもたらす死を受け入れようとしているのだ。(なお、「恥」と、クッツェーののちの作品のタイトルでもある「恥辱」の相違については、訳者による巻末解説が見事に描き出しているので、それを読んで欲しい)。「原罪=意識=病」という、ドストエフスキーが描き出した構図がここにも見られるが、クッツェーの老婦人はアリョーシャ・カラマーゾフのように、神の王国を見ることはできないだろう。なぜならば彼女の見ている「悪」は、19世紀には想像もできないほどに進化した、ホロコースト以降の悪なのだから。

死者はだまされることも裏切られることもないの。あなたが自分の心のなかに死者を取り込み、そこで犯罪を犯さないかぎり。(39ページ)


(『鉄の時代』 くぼたのぞみ訳 河出書房新社