21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

(1)カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』 2005年、英国

 20世紀という時代には、ロボットはおろか山椒魚まで、抵抗し叛乱を起こす存在だったのである。だが21世紀には、おそらく「叛乱」というテーマがそぐわない。
 ヘールシャム、という寄宿学校では、臓器移植のために生み出されたクローンたちが育てられている。かれらはどちらかというと実学よりは、芸術・情操教育を中心としたゆとり教育をほどこされていて、与えられる小説や映画もおとなしいものばかりだ。将来は映画スターや芸術家になることはなくて、臓器移植のためのドナーになるのだ、というかれらの運命は、それほどおおっぴらには隠されていなくて、読者にもかれらが成長するに従い認識を与えられるのとおなじリズムで、その運命が分かるようになっている。
 物語は、すこしくらいは反抗する心を持った、トミーとキャスというカップルを中心に展開するが、かれらは救済が与えられるのをただ待ち続けるのみであり、自分たちの愛情ですら、まわりの状況がすべて片付くまでおおっぴらにするのを待っている。
 さて、ここまで書けばこの小説にはもう用はない、「さようなら」、と言ってしまいたくなるくらいなのだが、もう少し何かある。ひとつにはそれは、失われたもの、あるいはもたらされないもの、への惜しみない愛だろう。
But as I say, I don’t go searching for it, and anyway, by the end of this year, I won’t be driving around like this any more. So the chances are I won’t ever come across it now, and on reflection, I’m glad that’s the way it’ll be. It’s like with my memories of Tommy and Ruth. Once I’m able to have a quieter life, in whichever centre they send me to, I’ll have Hailsham with me, safely in my head, and that’ll be something no one can take away. (Chapter 23)
欠落しており、訪れることがないからこそ、記憶の中でそれは深まっていく。巻末部のキャスの呟きは、かれらの生を全肯定しており、おそらくそれは、悲しいことにどんな痛烈な叛逆よりも強い。
Never Let Me Go, faber and faber, 2005
邦訳:土屋雅夫訳、ハヤカワepi文庫