21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

堀江敏幸『いつか王子駅で』

なすべきことを持たずに一日を迎え、目の前に立ちふさがる不可視の塊である時間をつぶすために必要な熱量は、具体的ななにかを片づける場合よりはるかに大きい。いま私がひどく不機嫌になりかかっているのは、この目的のない純粋な暇つぶしというう美しい行為がひとつの「待機状態」に貶められようとしているからなのだった。(85ページ)

 8年ぶりにモスクワに住むことになって、毎日仕事に追われているのだけれど、考えてみれば、すくなくとも週に5日は仕事が私を「待って」くれていることは幸せなのかも知れない。いまはもっと周到な文章を書くこの仏文学者にしては、いささか直截的に過ぎるようなモラトリアムへの恐怖感を目にしてみれば、なんとなくそんな思いにも捉われる。
 堀江敏幸のそれこそ8年前の作品であるこの小説は、時間講師である主人公が東京都北区に住みながら、背中に昇り竜を背負う印章職人の正吉さんや、町工場を経営する大家さんとその一家と交流する様を描いたものである。「待つこと」に関する主人公の連想は、徳田秋声の「あらくれ」論を経て、ただ「待っても詮無いもの」を純粋に待つことへの憧れをひたむきにくり返していく。
 ただ、小料理屋の定食のあとで出されるコーヒーの味の美しさや、免許を取る気もないのに鮫洲の試験場で煙草をすっているところを人に見られる気まずさを、丹念に描いた文章の中では、この「待つこと」への愛情の表白はなにやら浮き上がって見える。逆にいえば、それほど「待つ」ということは辛く、あたかも肉体的な疲労感をともなうということなのかも知れない。それゆえに、きわめて短い「長編」であるこの本は、読み終えてもなかなか手放しがたい。

私はいまや阪神競馬場を埋め尽くした大観衆の一員となって空のビール缶を握りしめ、電光掲示板にきらめく数字のめまぐるしい変化を目の端にとらえながら、いけっ、咲ちゃん、いけっ! と喉の力をふりしぼり、指の先まで完璧にフォームを守りつつさらに加速をつづけてゴールを目指す赤いゼッケンの細い細い背中から発している光の華をいっしんに浴びようとしていた。(179ページ)

(『いつか王子駅で』 新潮文庫