21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

随筆

景山民夫『普通の生活』 「トニー谷のディナージャケット」

僕のJ45にそれ以外の意味合いがあるとすれば、それはニューヨークで生きていくのに絶対に必要な、自分のアイデンティティーとしての役割を果たしてくれたことだろう。(「ギブソンJ45」) 私は中高一貫の学校に通っていたのだが、中3のとき、教師が授業中に…

古井由吉『始まりの言葉』 「「時」の沈黙」

ここにも矛盾はある。科学は究極不滅の原理である存在への探求を断念したところから、近代へと離陸したはずなのだ。「創造」を解除されたとでも言うべきか。究極の作動主である一者の干渉の絶えた空間と時間へ探求を限定したその上で、そこに生じた無差異、…

古井由吉『始まりの言葉』 「二〇世紀の岬を回り」

しかし探検の航海であるからには、仮りに幻想はもはやなくても希望は希望の、欲望は欲望の、もはや自動的(オートマティック)なものに化しても意志は意志の、冷たく凝固した顔なのだろう。大航海時代の冒険精神と人は取る。その背後にはしかし科学精神の展…

山村修『遅読のすすめ』 一章「ゆっくり読む」

朝は七時に起き、八時にはカバンを抱えて家を出る。電車にのって職場に行き、デスクにつくと夜まではそこにいる。それが好きだとか厭だとかいうのではなくて、そのように私は暮らしている。そのようにして暮らすのが私の生きかたである。その暮らしかた、生…

鴻巣友季子『やみくも』 「彫刻」

「いま、つかみにいきます」 「もうすぐつかめそうです」 「つかみつつあります」 「つかめました」 (119ページ) さて、母であり翻訳者であることを描いた『孕むことば』にいたく感動したので、『翻訳のココロ』もあわせて鴻巣友季子さんのエッセイ集をま…

鹿島茂『パリ・世紀末パノラマ館』

これは、おそらく、百年単位で意識を切り替える思考法になれているヨーロッパの人間たちでも、ひとつの世紀に対して総括を出すのに世紀末の十五年を要するばかりか、そこから新しい世紀を生み出す準備にまた十五年を必要とするということをいみするのではな…

古井由吉『人生の色気』 第四章「七分の真面目、三分の気まま」

とにかく、忙し過ぎるんです。自分で考える時間や癖を与えられることがありません。これまでの社会では、まず、何かを選択する前に、自分で考えるというプロセスがあったんです。しかし、いまでは、商品一つ買うのにも、多様なように見えて、選択の幅がほと…

古井由吉『人生の色気』 第一章「作家渡世四〇年」

ひょっとしたら、年から年へと振れるそのはずみに、自分のいなくなった後のことまで、話していたかもしれない。(「ゆめがたり」) 古井由吉氏の作品にはよくサラリーマンが登場するのだが、大学の先生を「サラリーマン」と考えるのは止すとすれば、氏にはサ…

鴻巣友季子『孕むことば』 「かぶさんが来る」

順位にとらわれるな、自分の好きな道を進めというのは、しかしいまの(少なくとも)日本の子どもにとって、本当にありがたいことなんだろうか?(103-104ページ) この章に描かれている「かぶさん」とは、たぶん子どもの周りにいる小さな「神」のようなもの…

鴻巣友季子『孕むことば』 「日々の幸せ」

翻訳の仕事をしていると、ことばや意思の「通じない豊かさ」ということを終始考える。その反対にあるのが、やすやすと通じあってしまう(通じあってると思いこんでしまえる)貧しさだ。(中略)たがいに深い文化土壌をもっていて初めて、「通じあえない」と…

堀江敏幸『回送電車』 「リ・ラ・プリュス」

フィルターなしのゴロワーズやジタンを喫むくらいなら自分で巻いたらどうだ、とありがたくもない忠告をしてくれたのは、そのころパリでよくつきあっていたモロッコ人の友人だった。(218ページ) 『回送電車』の第四部には様々なものに関する想い出、愛着が…

堀江敏幸『回送電車』 「裏声で歌え、河馬よ」

しかし私は気づいたのである。ボールの受け渡しがその場限りのルールだったとしたら、もう二度とあの光景に出会うことはないのだ、あの芳しい小宇宙は永遠に失われてしまうのだ、と。なにか途方もない損失の訪れをいくらかでも引き延ばすために、いまや胸の…

堀江敏幸『回送電車』 「誕生日について」

そもそも書き手の力量や資質は、他者の作品の梗概を書かせてみれば一目瞭然なのであって、愛も理性も感受性も、そこでは残酷なまでにはっきりと示されてしまうのである。(「梗概について(正)」) そもそも小説でも評論でもエッセイでもなく、時刻表のはざ…

水村美苗『日本語が亡びるとき』 六章

ケヴィン・ケリーが描く理想郷は、実は、理想郷どころか、情報過剰の地獄である。(247ページ) まったくない、というのは危惧すべきことだが、あまりない、というのは意外に愉しいものだ。 段ボール箱いっぱいの未読の本、そして2〜3箱のお気に入りの本と…

水村美苗『日本語が亡びるとき』 一章

そして、読む快楽を与えない文章は文章ではない。(六章 インターネット時代の英語と<国語>) このブログでは、できるだけ「随筆」というカテゴリ分けをしないでおいたのだが(だいそれた理由はないが、どのような雑文でもゴミバコ的に入ってしまいそうだ…