21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

堀江敏幸『雪沼とその周辺』 第一話「スタンス・ドット」

ただひとつ確かだったのは、ハイオクさんの投げた球だけが、他と異なる音色でピンをはじく、ということだ。ピンが飛ぶ瞬間の映像はおなじなのに、その一拍あと、レーンの奥から迫り出してくる音が拡散しないで、おおきな空気の塊になってこちら側へ匍匐してくる。ほんわりして、甘くて、攻撃的な匂いがまったくない、胎児の耳に響いてくる母親の心音のような音。彼はなんどかその音と立ち位置の秘密をさぐろうとしたのだが、スタンス・ドットは、立ち位置を変えるためのものでなくて、それを変えないためのものなんだよ、わたしにとってはね、と笑って答えなかった。(33ページ)

 あと30分で閉店し、永遠に店を閉めてしまうボーリング場を訪れた若いカップルに、片耳のきこえない主人が最後の1ゲームをプレゼントする間の、わずか一時間以内の物語。この場面設定や、すこしずつ回想で注がれるエピソードはおろか、亡き妻とともに脱サラしてはじめたボーリング場を今まさに廃業しようとしている主人の人生まで、ただボーリングのピンが弾ける音を聞くための背景に過ぎない。音への執着は、すこし先にある「レンガを積む」でも描かれているが、そこではもうすこし主人公の人生が生臭く描かれており(だからこそそちらの短篇はおもしろいのだが)、それこそ廃業間際のボーリング場のようなさびしさ、静謐の感はない。「スタンス・ドット」では、ひたすらに、ピンの弾ける音が二度か三度響く。しかし「ハイオクさん」というあだ名の人物の声が、かぎかっこに入らずに挿入されることで、いちどだけ読者の意識が足もとのスタンス・ドットに集約される。目で見ることを思い出すと、もう一度背景のボーリング場がうかびあがってくる。そのとき、音と景色があいまってこの小説の世界が構成されていることがわかるのだ。名作と言うしかない。

(『雪沼とその周辺』 新潮文庫