21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

小松左京『日本沈没』 第三章「政府」

まして戦後の三十余年間、日本の、とくに大都会の人びとは、巨大な災害に対して、瞬時に身を処するマナー――戦前までに、大火や地震や水害などの数百年間を通じて形成されてきた「災害文化」ともいうべきものをきれいに失ってしまっていた。まさかの時、自分を救けること以外に、一人ひとりが自分の手もとで、災害拡大の可能性を小さな芽のうちにつみとるために何をしなければならないのか、という実際的知識と、「市民の義務」の意識を、ほとんどの人が持っていなかった。(第四章)

 第三章は、その科学的な記述も魅力ではあるけれど、やはり気にかかるのは、「D計画」で日本沈没の可能性を知った首相が、「海外雄飛」を唱えはじめる、というところだ。
 日本人が危機感をなくしている、という記述に出あうときの思いは今や複雑だ。あくまで経済的な危機感のなさ、内向き志向、について語られていたころは、落合監督みたいに「別にいいじゃん」と思っていたけれど、災害という国難に関して言われるときは反論のしようもない。たとえ30年以上前から同じことが言われていたとしても。
 現在、いちおう海外で仕事をしている身で、震災のときは勝手にハラハラする以外に、ほとんど何の関係もなかった、と言っていいくらいだが、それでも私は日本がなくなって海外でサヴァイヴする自信はない。困ったことかもしれないけれど。