21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

小林泰三『玩具修理者』 「酔歩する男」

「それはつまり、記憶のメカニズムが関係するんだろう。過去のことは記憶できるが、未来は記憶できない。これは不思議でもなんでもない。記憶とは記録のことだ。記録する能力を持つものは意識だけじゃない。オーディオ・テープ、ビデオ・テープ、それに紙だって、いろいろなことを記録できる。過去のことを記録できて、未来のことは記録できないのは意識だって同じだ。おまえは、まさか、紙と鉛筆が時間の向きを決めていると言うわけじゃないだろう?」(109ページ)

 「あなたと私は大学時代の親友でした。しかし、私とあなたは無関係だ」
 血沼壮士が飲み屋で声をかけられた男はこう語った。男の語るところは、ふたりはひとりの女性をめぐって争い、彼女の死によって狂気に陥った血沼が、脳の時間を認識する領域を壊すことによって、タイムトラベル、実現しなかった現実を実現させる行為に踏みきったことにより、二人は何万通りもの現実のパターンを永遠に行き来する存在になったのだと。因果律が破壊された世界の中で、私とは一体どういう存在なのか。はたしてこの世界は実在しているのか……
 『虎よ、虎よ!』を若干くさしておいて、あきらかにそこからの引用がある小説を絶賛する、というのもどうかと思うが、実はこの小説は日本の時間SFのなかで一番しっくり来る。死んだ恋人を蘇らせようとする、という、この時期では『パラサイト・イヴ』にも登場するモチーフが、狂気の発生条件として、私の歪んだ感性に響くのかも知れないけれど。
 基本的にホラーとして書かれているので、語り手(小竹田)が時間を移動するようになった直後、学会講演を失敗/成功する、という小さな繰り返しにとり憑かれていく部分が恐ろしく、魅力的である。この時点ではまだ、小竹田はこれまでの現実で達成した地位(医学部教授)に未練があるらしく、もういちどタイムトラベルすれば二度と出遭わないかも知れない現実において、自分が失敗しないように、小さな努力(要はプレゼンの手直し)を繰り返す。なんとなく会社員としての自分の生活を思わざるを得ない。
 ただし、時間がいちど大きく跳んでしまうと、小竹田は結果の出ない努力をすることを諦め、さらに閉塞していく。これがなんともリアルで恐ろしいと、15年前はじめて読んだときの大学生の自分は思ったものだ。

(『玩具修理者』 角川ホラー文庫