21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

K.イシグロ『わたしたちが孤児だったころ』 Part2

もう遅い。最後の文章を書きとめてから、かなり時間が経ってしまった。それなのにわたしはまだこうして机の前に座っている。いつのまにかこれらの思い出に浸っていたのだろう。その思い出の中には、何年も頭に浮かんでこなかったものもある。(Part2 9)

 昨日、Part2「1931年5月15日 ロンドン」は、1907年の上海ではじまるのでサギみたい、と書いた。だが、Part1と比べて、この日付は何の日か明確である。この日の午後、クリストファーはサラと二階建てバスに乗り、上海のことを彼女に話している様子だ。そして、その日の夜、手記としてこの章をつづっているのである。語り手が「書いて」いることを表明しているシーンは、イシグロ作品でも少ないのではないか。
 たあいもない母親の悪口を大げさに言って楽しむ、「友人数人」のなかでいたたまれなくなった、ふたりの「孤児たち」は、サラの母親の思い出によりそうようにして、二階建てバスでロンドンをめぐる。けっこうロマンチックなシーンになりそうだが、その場面について語る主人公の口ぶりは、どうにもはっきりしない。英語で引用しよう。

But I have no wish to recall Uncle Philip here just now. There was a time, earlier this evening, when I was convinced I had mentioned his name to Sarah Hemmings during our bus ride this afternoon - even told her one or two basic things about him. But going over yet again all that took place, I am now reasonably sure Uncle Philip did not come up at all - and I must say I am relieved. It may be a foolish way to think, but it has always been my feeling that Uncle Philip will remain a less tangible entity while he exists only in my memory.(Part 2 Chapter 4)

 つまり、「今日の夕方にはフィリップおじさんのことをサラにしゃべってしまった」と思い込んでいたのだが、考え直した結果、フィリップのことをしゃべっていないのは「reasonably sure」で、ほっとした、と言っているのである。さらに、彼のことは自分一人の記憶にとどめておく限り、「 a less tangible」(より実体的でなくなる)とまで言う。とどのつまり、サラにとって死んだ母との思い出の場所である二階建てバスの最前席で、自分の両親が失踪した夏のことを話す場面が「1931年5月15日」であるべきなのだが、クリストファーにとっては話す相手のことはどうでもいいし、おそらく核心に触れることは何一つ言っていない、というのが実態なのだ。
 もうひとりの「孤児」であるサラよりも、自分一人に向けて書いている手記のほうが、聞き手として信頼されている。しかしながらサラも、「うっかり本当のことをしゃべってしまったかも知れない」と、語り手に思わせるくらいには、彼の心にひっかかってはいるらしい。彼は、手記に対しても、本当のことを言えない人であるようだが。

ぼくたち子供は、あの木製の羽根板を留めつけている撚り糸のようなものなんだ、とアキラは言った。日本人の僧侶からかつてこう聞いたことがある、とアキラは言った。ぼくたちは気がつかないことが多いけれど、家族だけではなく、全世界をしっかりとつなぎとめているのは、ぼくたち子供なんだ、と。もしぼくたちが自分の役割をきちんと果たさなかったら、羽板ははずれて床の上に散らばってしまう、と。(Part2 5)