21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

A.C.クラーク『2001年宇宙の旅』

ニュースパッドこそは、その背後にひそむすばらしいテクノロジーも含めて、完全なコミュニケーションを追求する人類にとって最後の回答ではないか。フロイドはときどきそんな思いにとらわれる。いま彼は宇宙はるかに乗りだし、毎時一万キロを超える速さで地球から離れつつある。それでいながら、ほんの数ミリセカンドの時間で、どんな新聞の見出しに呼びだすことができるのだ(”新聞(ニュースペーパー)”という用語じたい、このエレクトロニクス時代にあっては過去の遺物である)。(9「月シャトル」)

 アーサー・C・クラークが、未来と歩みをともにしている、という仕合せな自覚を持っていたかどうかは別として、やはり現在の自分には、コンタクトであるとか、機械と人間の同化であるとか、いったSF的なテーマが、おどろくほど遠いものになっていることを感じる。もとよりこの作品は、多幸感に満ちたものではなく、じゅうぶんに皮肉で、現代に読んでも興奮を誘うだけの仕掛けがほどこされてもいるけれど。
 それでも、やはり遠さを感じるのだ。ボーマン宇宙飛行士が、有機体としての肉体が滅する時間に思いを巡らしているとき、私が共感するのは、どちらかと言うと、宇宙船内のオーディオで朗読テープや音楽を次々にかけながら、だんだん感情にまつわる表現に耐えきれなくなる彼の姿だ。音楽愛好家にしてみれば、挙げられている作曲家の名前は的はずれかも知れないけれど、このシーンは実にいい。
 ところで、ホテルってけっこうSF的な場所なのだろうか? ホテルのシーンを読んでいるあいだ、ずっとジュリアン・バーンズの『10 1/2章で書かれた世界の歴史』の、天国のシーンを思い出していたけれど、そういえばこのあいだの、『高い城の男』でも、重要な意味を持つ場所としてホテルが登場した。

(『2001年宇宙の旅』 伊藤典夫訳 ハヤカワ文庫SF)