21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

K.イシグロ『わたしたちが孤児だったころ』 Part 1

そうはいっても、このようなことはおそらくいずれ起こっただろう。実を言えば、ここ一年ほど急激に過去の思い出で頭がいっぱいになっていたからだ。そうなったのは、子供時代や両親の思い出が、最近ぼやけはじめたのに気がついたからだった。ほんの二、三年前なら自分の心の中に永遠に染み込んでいると思っていたようなことが、なかなか思い出せなくてじたばたするようなことが最近何度もあった。(Part 2 4)

 ひさびさにじっくり腰をすえて、ひとりの作家を読み込んでみるのもなかなか楽しくなって来ており、カズオ・イシグロ祭りをひっそりと継続中。『日の名残り』につづいて、『わたしたちが孤児だったころ』を読み返してみる。
 最新作の『忘れられた巨人』について、なんと80年代の作品だった『日の名残り』と比べたときには、ずいぶん作風の変化を感じたものだが、ちょうど真ん中くらいに位置するこの作品を読みなおしてみると、なるほどそれは一貫した流れの中での変化だったのだな、と思わされる。たとえば、『忘れられた巨人』では、忘却の霧という強力な設定にびびって、あたかも時間軸がめちゃめちゃに配置されているように感じるが、実は過去のある一点において、登場人物がそれより以前のエピソードを思い起こす、という記憶の処理方法は、『日の名残り』でも『わたしたちが孤児だったころ』でも使用され、ほとんど同じ仕方で『巨人』にも一貫して用いられている。
 『孤児』の冒頭部分は、このやり方がわかりやすく出ている例である。そもそもPart 1のサブタイトルは「1930年7月24日 ロンドン」なのだが、なんと書き出しから「1923年の夏のことだった」と始まる。ただこれはまだロンドンにいるからいい方で、Part 2「1931年5月15日 ロンドン」は、1907年(多分)の上海で始まるサギっぷり。この「1930年7月24日」とは、一体いつのことか?
 物語はあきらかに1923年の夏からはじまっている。この年、大学を卒業した主人公クリストファーは、保護者である伯母の意志に背いてロンドンに残り、探偵を目指す。そして、もうひとりの「わたしたち」であるところのサラとも、この年に出逢っている。そして、はじめてサラと会話した場面(ヴォルドーフ・ホテルでのエピソード)は、それから「ほぼ二年後のある日の午後」なので、1925年と言うことになる。その一、二か月後のチェンバレン大佐との再会(そして、上海の回想)をはさんで、次のエピソードが挿入されるのは、「ウォルドーフ・ホテルでの一件の後、少なくとも三、四年はサラ・ヘミングスとわたしの間にはほどんど何もなかった」(53ページ)ということなので、1929年以降だろう。そしてジョーゼフ・ターナーという人物から、サラが自分(クリストファー)を探している、という話を耳にしてから、オックスフォードシャーの事件現場で彼女に再会するまでは、また「何か月か」経っているらしいが、この出来事は「先週」(56ページ)であると明記されている。そして、Part 1の最終シーンとなる、水曜日のクラリッジ・ホテルでのエピソードはその翌週である。
 このクラリッジ・ホテルのエピソードが現在時であり、「1930年7月24日」であると考えるのが自然だろう。だが、細かいことを言えば、1930年7月24日は木曜日であるし、英文を参照すれば、クラリッジ・ホテルのシーンもすべて過去形で書かれている。だとすると、7月24日は翌日で、クリストファーがかなり長い回想も交えながら、昨日のことを思い出している日が、サブタイトルとして設定されていることになる。
 思い起こせば、この設定は『日の名残り』にもあった。章立てはスティーブンスが旅に出てから「何日目」であるかを示しているのだが、基本的にその日に起こった出来事の扱いは小さく、その日に思い出したことを中心に物語は展開している。しかも、スティーブンスの場合、車で一人旅をしているはずなのに、一体誰に語っているのか、という不気味さもつきまとう。
 しばらく、この時間軸と語りの問題を考えてみようと思う。

(『わたしたちが孤児だったころ』 入江真佐子訳 ハヤカワepi文庫  原著2000年)