21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

R.ブローディガン『ビッグ・サーの南軍将軍』

彼女の髪とカリフォルニアはみごとに調和している。(129ページ)

 本年5月から、パリに暮らしている。敬愛する詩人や芸術家があくまで憧れたパリである。しかしながら、「人生は一篇のボードレールに及ばない」、という単純な事実に気づいて、遊学を決めこんだわけでなく、会社から辞令をもらってパリに住んでいるので、あくまでパリに住んでいる、というよりは、会社がパリにある、というのに近い状態である。なんだか萩原朔太郎にもうしわけない気がする。気づけば会社とアパートの往復を繰り返し、わずかにトマトやじゃがいもの濃い味にフランスを感じる有様だ。
 そんなときにアメリカの作家の小説で、上の一節に出会った。弾の入っていない銃で、ガソリンを盗んでいないガソリン泥棒からせしめた6ドル72セントを手に入ったバーで、出会った恋人への愛情もみごとに表現しているけれど、ここで彼女の背景になるカリフォルニアの広さには舌を巻く。第二部のはじめに、カリフォルニア州サン・フランシスコで失恋した語り手は、同州ビッグ・サーの天井の高さ155センチの家に暮らす主人公リー・メロンのもとに転がり込み、6ドル72セントを手にロサンゼルスで有名な高級コール・ガールを訪ねて空振りした後、同州モントレーで恋人と出会うのだが、その彼女をビッグ・サーに連れ帰ってのこの一言である。ちなみに私はアメリカ大陸に足を踏み入れたことがないが、Googleマップで一通り各都市をめぐってみて、このワンシーンの背景のひろがりを実感する。でも彼女は起きあがると頭をぶつけるような155センチの天井の下にいるのである。

鳥たち、きらきらする酒のグラスのひとかたまりが鳥のように彼の目を横切る。鳥たちの翼はガラスで、胴に取りつけてある。海に霧が出てきた。霧は掘立て小屋のように出てくるのではなく、大きなホテルのように出てくるものだ。(113ページ)

(『ビッグ・サーの南軍将軍』 藤本和子訳 河出文庫