21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

小松左京『日本沈没』 第五章「沈み行く国」

憲法改正騒ぎがあった。世界SF大会が日本で開催された。消費税があがった。狂牛病アメリカでようやく深刻な問題になった。ベネズエラが侵攻されて、自由世界を脅かす諸悪の根源にされた。小学生が幼稚園児を殺した。銀行の数がまた減った。アニメとゲームが輸出産業として国の盛大な保護を受けるようになって、とたんにつまらなくなった。人工衛星がやたらと軽く小さくなった。9・11についての対策映画が二本作られた(保守とリベラルのために、それぞれ一本ずつ)。博覧会のやりすぎで、県が一つ破産した。大地震原発事故があった。(後略)新城カズマサマー/タイム/トラベラー』)

 虚構の事実を羅列することによって、ダイナミズムを発揮する文体が『日本沈没』の魅力なのだが、考えてみればこれは日本SF特有の文体なのではないだろうか? もちろん、SFにおいて話をまとめようとするとき、起こったことを過去形で(日本語なら断定形で)羅列していく、というのは便利な気がするが、タイムトラベルものの『夏への扉』の最後がそんな感じだったかと、ひも解いてみたが、どちらかと言うともうすこしだらだらとした話しぶりであり、『日本沈没』のように事実(つまり、富士噴火とか、西日本沈没とか)をガンガン読者につきつけてくる、という感じではなかった。もちろん語られている中味の問題もあるし、私のきわめて乏しいSF知識のせいでもあるが。
 いささか牽強付会の観はあるが、要するに日本SFでこういう文体が目立つのは『日本沈没』の影響があると言いたい。