21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

J.M.クッツェー 『エリザベス・コステロ』第四章

 名作『エリザベス・コステロ』の第四章「悪の問題」は、ナチス戦争犯罪に関する講演、という茶番劇を描いている。コステロアメリカのカレッジで、ナチスの大虐殺は日々世界で起こっている家畜の虐殺と大差ない、と言ってしまったのだ。(モリッシーを聴き過ぎたのかも知れない)。一躍わるい意味での時の人になった彼女は、アムステルダムの文学会議で「悪の問題」について語る、という嬉しくない役を任される。当時、とあるイギリス人作家の書いたナチスに関する小説を読み、どうしようもない不快感(どうしてこんなことをわざわざ再現する必要があるの!という感じ)を抱いていた彼女は、彼に対する不快感を講演でぶちまけようと考えていたが、あろうことか当の作家も文学会議に参加し、あまつさえ同じホテルに投宿しているという……
 そんな感じでドタバタ喜劇は続く。トイレを我慢している人が、ハタから見て滑稽でしょうがないように、エリザベスのとりとめのない苦悩は笑ってしまいたくなるようなものだ。しかし、一撃で人の生命を奪う痛みよりも、原因のわからない痒みのほうが耐え難いのと同じく、エリザベスの焦燥、彼女のやる瀬なさはよく伝わってくる。現代において、悪は矮小化し、それによる不快はかつての巨悪よりも耐えがたい……などと言っては曲解になるか。

あるいは、悪は無味無臭だろうか? 精神世界のほかの多くがそうであるように。(140ページ)