21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

ねじめ正一『荒地の恋』 第二章

 人間だれしも躁と鬱のあいだを行き来しているのであって、五月の連休が終わったころなど、どうしてもウツになってしまうが、会社勤めをしていればその鬱な気分にひたすら塗れる、といった贅沢なこともできず、「ああウツだなあ」と思いながら、とりあえず会社に足を運ばなければならない。そして黙々と、勤めをこなしている間に鬱な気分も大分とれて、根本的にウツは解決しないままだらだらとある程度幸せな日々を過ごすことになるのだが。そんな時には、よろめき、である。
 本書はとてもよろめき小説であって、しかも『高円寺純情商店街』の語り口で、実在の20世紀詩人、北村太郎田村隆一らが実名で登場するという「悪質な」よろめき小説である。新聞の校閲記者としてはたらく50代の北村太郎は、慢性的な疲労感を抱えながらも、学生時代からの盟友で、詩誌『荒地』の同志でもあった田村隆一の四人目の妻に惹かれていく。そして、どうしようもなくよろめくことになる。
 詩人たちの恋物語であるから、たとえそれが老いらくに近い年齢のものであるとしても、言葉への信仰に裏打ちされて、恋愛というものが非常に強固なモチベーションとなって物語を動かす。21世紀に会社勤めをして『SPA!』とか読んでいると(読んでないが)、それが何だかよく分からなくなる愛とか恋とかいうものに、こちらとしても心を動かされるようになるのだ。さすが20世紀で、詩集が本屋で買えた時代の話なのだ、と思いたくもなるが、それは時代性によると言うよりは、やはり言葉への信仰の多寡によるのだろう。よろめき小説は、生活に疲れた主婦かOLが読むもののようなイメージがあるが、たまには大の大人が読んでもいい。

言いながら、北村はほとんど肉体的と言っていいよろこびが自分を浸してゆくのを感じていた。言葉がそのまま官能であるというこの感覚はひさしぶりだ」(27ページ)