21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

G.ガルシア=マルケス『百年の孤独』 (三)

アウレリャノ・セグンドはトランクを提げてわが家に帰った。ウルスラだけではない、マコンドの住民のすべてが、雨が上がるのを待って死ぬつもりなのだと彼は思った。通りすがりに、ぼんやりした目付きで腕組みをし、広間にすわり込んでいる彼らの姿が眼についた。雨を眺めているよりほかにすることがなく、時間を年月日や時刻に分けるのも無意味なので、それが丸ごと、ゆっくりと過ぎていくのを実感しているのにちがいなかった。子供たちに大喜びで迎えられたアウレリャノ・セグンドは、あの喘息やみのアコーディオンをふたたび弾いて聞かせた。(370ページ)

 物語の後半では、「孤独」と「愛」、「時間」と「忘却」が複雑な絡み合いを見せながら、重要なテーマとなる。とくに、ややこしいのは「愛」とペアで語られる「孤独」である。タイトルでもあるこの単語は、愛や友情など、人間同士のペアが成就した場面ほど自己主張して表れてくる。「小鳥たちにも見捨てられ、埃と暑さがひどくて呼吸もままならぬマコンドだったが、孤独と愛を求めて、愛の孤独を求めて、赤蟻の立てるすさまじい音でろくに眠ることさえできない屋敷に閉じこもったアウレリャノとアマランタ・ウルスラだけが、幸せだった。この世でもっとも幸福な存在だった。
 困ったことに、ブレンディア一族の宿業として描かれている「孤独」だが、この「孤独」が訪れた時にのみ一族の人間は幸せになる。極めつきは、恋に生きる毒殺マニアのアマランタが、自分の経かたびらを織る作業に没頭しながら、悟りの境地に達する場面。「外の世界は皮膚の表面で終わり、内面はいっさいの悩みから解放された。
 マコンドという街そのものが世界からひきこもっており、一族そろってひきこもりであるブレンディア家にとっては、殻の中に閉じこもってしまった瞬間にこそ幸福が訪れる。