21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

鴻巣友季子『孕むことば』 「かぶさんが来る」

順位にとらわれるな、自分の好きな道を進めというのは、しかしいまの(少なくとも)日本の子どもにとって、本当にありがたいことなんだろうか?(103-104ページ)

 この章に描かれている「かぶさん」とは、たぶん子どもの周りにいる小さな「神」のようなもので、筆者の2歳半の娘のことばの中にあらわれるのだけれども、このエッセイは、その正体についてツッコむような無粋なことはせず、なぜか話を『アンパンマン』に振る。そして、アニメ版『アンパンマン』の歌詞を引用して、アンパンマンの使命は、おのおのが持つ自分にとっての夢を守ってくれることだ、と見抜く。しかし、筆者は引用したように呟くのである、「子どもに好きなことをしろと言って導くことを怠るのは」、ひょっとするとネグレクトに等しいのではないかと。
 「交友関係が愛と勇気だけ」のアンパンマンに、そこまで求めるのも酷な気がするが、筆者の言いたいことは分かる。……ところで急に話は全然かわるが、むかし『カラマーゾフの兄弟』の、「大審問官」の部分を読んでいて、「アンパンマンとはアンチクリストではないか?」と思った。キリストは悪魔から、「石をパンに変えてみよ」「空を飛んでみよ」「この世界を統べる権力をやろう」という三つの誘惑を受けた、というのだが、アンパンマン氏はすくなくとも二つは誘惑に負けている。(しかも、人びとに与えるパンにはあんこまで入っているので、念が入っている)。すると、子どもたちを導かないのは、最後の誘惑に負けないための、アンパンマンの必死の抵抗であると思えなくもない。

去年の七五三以来、「かぶさん」は娘のところにおいでにならない。やはり赤ちゃんの守り神のような存在で、子の成長とともに縁遠くなっていくのだろうか。人間はだんだん自分の力で生きていくことになる。(「アンドちゃん、あらわる。」)