21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

堀江敏幸『回送電車』 「裏声で歌え、河馬よ」

しかし私は気づいたのである。ボールの受け渡しがその場限りのルールだったとしたら、もう二度とあの光景に出会うことはないのだ、あの芳しい小宇宙は永遠に失われてしまうのだ、と。なにか途方もない損失の訪れをいくらかでも引き延ばすために、いまや胸のなかで彼女らにこう叫ぶほかなかった。(「オレンジを踊れ」)

仏留学中の著者が、休講になったらしいゼミのがらんとした教室のなかで絵はがきを書いていると、ミシェル・トゥルニエを専攻するスペイン人の女性があらわれ、河馬の物語を語って聞かせる。歌が大好きだが音痴の河馬、イッポが珍しく裏声で歌っていると、そうすると高音がうつくしく響いたのか、大蛇がそれを気に入り、家のちかくの広場で歌ってくれという。イッポは調子に乗って広場までいってしまうのだが、その場では豹があたらしい獲物を見つけて舌なめずりをしているし、水が命の河馬にとって乾燥は大敵で、イッポは死に瀕している。だが、イッポと仲のよい少年が機転を利かせ、乾燥した河馬の皮など固くて食べられたものではない、水につけてやわらかくしなければ、と豹をだましてイッポの危機を救う、というのがだいたいの話だ。
 この物語は、著者が日本で幼稚園の先生をしている女友達に、それこそ絵はがきで書き送ることにより、さらなる拡がりを見せるのだが、思えば異国の教室で会っただけの東洋人の男性に、自国の昔ばなし(?)を語って聞かせた女性の心はいったいどのようなものであったのだろう? ゆたかな感受性と文学性をもつ南欧の女性に魅力を感じる以前に、かたや外国人と毎日のように顔を合わせながら私は、自国の物語など思い出しもしなかったことに気づいたのである。
 ところで、いちおう獣医師の免状をもっているらしい私の父によれば、河馬というのは動物園の中でも相当の「金食い虫」だという。たとえば象であればたんなるコンクリートの上でも飼うことができるが、河馬は大型の水槽がなければ死んでしまう。この河馬の水槽は、それこそ何千万という投資を動物園側に求めるものらしい。河馬は面倒くさい動物なのである。そしてもう一回、ところで、ということが赦されるのであれば、ロシアの人気人形劇アニメである「チェブラーシカ」にこんな場面がある。

ワニのゲーナ:「チェブラーシカ? そんなのどの事典にも載っていないぞ」
チェブラーシカ:「じゃあ、僕はみんなとともだちになれないってことだね……」
女の子:「パチムー?、パチムー?(どうして?、どうして?)私たちはであったときからともだちじゃないの」

この場面が好きだったので、とある女の人にこの話をしたところ、「ロシア人めんどくさ」と言われた。果たしてロシア人に、一連のこの話をしたら、スペインからはじまった美しい河馬の物語は一層の拡がりを見せるだろうか。……見せへんよな。

さて、目を覚ましてことの次第を教えられたイッポは、豹にひとこと礼を述べたいと言って少年を困らせる。自分を食べようとしたやつに頭を下げることなんかないよ。そう難ずる少年に腹を立てたイッポは、湖を離れ、大声で歌いながら川を下っていく。その歌に耳を塞ぎながら知恵者の象が呟いた。あいつがまともに歌えるようになるには、しっかりしたお嫁さんが必要だな、と。(165ページ)