21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

鴻巣友季子『やみくも』 「彫刻」

「いま、つかみにいきます」
「もうすぐつかめそうです」
「つかみつつあります」
「つかめました」

(119ページ)

 さて、母であり翻訳者であることを描いた『孕むことば』にいたく感動したので、『翻訳のココロ』もあわせて鴻巣友季子さんのエッセイ集をまとめ買いして読んだのだが、すごく面白いものの、それほど「ぐっ」と摑まれることもなく、やっぱりこの人の文章でいちばんすぐれているのは、翻訳解説なのではないか、などという安易な結論に落ちそうになっていたのだが、この本にはどうしても引用したくなる感覚のするどさがあったので、それを書く。ガルシア・マルケス松本人志の想像力に関する話である。

マルケスはあるとき、雨のなかで昭和天皇の葬儀に参列する皇后の報道写真を目にした。すると、彼はそこに物語の種子が宿るのを感じ、やがて脳裏に焼きついたイメージから後ろの背景を消し、群集を消し、最後には雨にたたずむ皇后の姿すらをも消して、あとには皇后の雨傘だけが残り、そこから物語が始まったという。(117ページ)

この想像力の働きを、鴻巣さんは「一人ごっつ」の「『写真でひとこと』を逆回しで見るみたい」、という。すごい。
 ここからは勝手な物言いだが、やっぱりこれだけの感覚の鋭さ、つまりは引用した部分のマルケスのエピソードを、まるで自分の目で見たかのように描写できる力も含めて、これはやはり翻訳という究極の精読に従事しているからできることなのではないか。最近、たいして量を読まないわりには乱読傾向にあるので、なにか本腰を入れてロシア語の本でも精読してみたくなった由縁である。

(『やみくも 翻訳家、穴に落ちる』 筑摩書房