21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

鴻巣友季子『孕むことば』 「日々の幸せ」

翻訳の仕事をしていると、ことばや意思の「通じない豊かさ」ということを終始考える。その反対にあるのが、やすやすと通じあってしまう(通じあってると思いこんでしまえる)貧しさだ。(中略)たがいに深い文化土壌をもっていて初めて、「通じあえない」という現象はおきる。子どもたちのことばは、ぎこちなく衝突するが、それでもまるまると肥えている。(「体が語るもの、語らないもの」)

エッセイというのは、基本的に一話完結の単発の芸だと思うのだが、しかし人間が、ある程度ものを考えながらそれを「連載」したりしていると、そこに物語が産まれもしよう。この『孕むことば』は、生死をかけた旅であった『嵐が丘』の新訳を乗りこえ、40歳ではじめての子供を産んだ翻訳家・鴻巣友季子さんのの、育児・文学エッセイであり、どうじに一大叙事詩である。読者としては、この本が3年かけて紡がれたという事実に、ただただ感謝するほかない。この本は、おそらく書き手の意図を超えて、これほどすばらしい本になっているのだから。
 さて、「日々の幸せ」という一節は、すこし野菜の煮かたが固くても食べてくれない赤ちゃんを前にして、両親の介護と看取りを回想する、という壮絶な章である。この本は全体にわたって、「夢を持つこと」「自然なもの」がいい、という社会的な通念ほど強制力を持ち、人びとを「いじめ」るものはない、というまっとうな感覚を持って書かれているから、もちろん、死を控えた両親を介護するときに「日々の幸せ」を見なさい、ということばの怖ろしさにつよく反発もするのだけれど、ただしそれを抹殺しうるほどに無情な本でもない。
 そういえば甲斐谷忍のマンガ『LIAR GAME』で、主人公を助ける元・詐欺師が、「人は疑うべきだよ。『信じる』なんていうのはその人に対して考えることを放棄した、体のいい無関心に過ぎない」、というようなことを言っていたが、自分の人生を自分の人生として生きるつもりの人に、ぜひ読んでもらいたい一冊である。

待ちかまえた断崖は、超えてみれば人生に走った小さな亀裂にすぎなかった。いや、亀裂ですらない。わたしの日常は一日たりとも途切れずつづいていたのだ。(39ページ)

(『孕むことば』 マガジンハウス)