21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

景山民夫『普通の生活』 「トニー谷のディナージャケット」

僕のJ45にそれ以外の意味合いがあるとすれば、それはニューヨークで生きていくのに絶対に必要な、自分のアイデンティティーとしての役割を果たしてくれたことだろう。(「ギブソンJ45」)

 私は中高一貫の学校に通っていたのだが、中3のとき、教師が授業中に「中学生というのは人間ではない。まだ人間になっていない。だから俺はお前らを人間扱いはしない。高校になったあと人間と認めてやる」、と言っていたのをみょうに覚えているのだが、もちろんこれはある種のジョークというより、彼の思想信条の発表であって、聞いている中学生どもにしても、それなりに納得できる内容ではあった。つまり人間になりきれていなかったにしても、自分のアイデンティティーが確立していないことくらいは理解できるレベルにまで、私たちは成熟していたのだ。
 そんなことを書こうと思ってはじめたのではないのだけれど、ともかくその「早く人間になりたい」レベルの中学生のころ、私は景山民夫のエッセイを一生懸命読んでいた。キリスト教徒が聖書を読むように、というのは大袈裟なのだけれど、まあ、すくなくともチャンドラリアンが『長いお別れ』を読むように、あるいはジロリアンが大ブタを食べるようには熱心に読んでいたと思う。それは私がアイデンティティーを確立する以前に、「自分はこのように生きなければならない」という教科書のようなものだったのだ。
 この人はその後、宗教に入って、その後、プラモの塗料にタバコの火が引火したかなんかで、完全燃焼して死んでしまったので、いったい全体この人のどこにそんなに学ぶものがあったのか、といぶかる向きもあるのかと思うのだが、たとえばこの本なら「トニー谷ディナージャケット」という一篇に描かれた仕事に対する姿勢、というか緊張感、というか、ひたむきさ、みたいなものを手に入れたかったのだ。
 もう一つは、「一級の体験」にも登場している、子供のころ10歳を過ぎたら、両親は一等車で旅行しているのに、自分たちは二等車に乗せられ、自分で稼げるようになるまでは贅沢をするな、と叩き込まれたというような背筋の延びた感じ。そして、離婚したあとも障害を持つ娘さんの養育費として、自分の生活をおびやかしかねないレベルの養育費を支払っていた、というエピソードを通じて、「人間は自分の人生に責任を取るものなのだ」ということを見せてくれたダンディズムにとどめを刺す。今回、ほぼ20年ぶりくらいに読み返してみて、やはり自分の人生に大きな影響を与えた人だなあ、まあ、自分がどれだけそのへんの教訓を守れているかは別として、と思った。
 しかし一方で、20年間でひねくれてしまった自分の目で見ると、ああ、実に80年代だ、と思わなくもない。もちろんバブリーなチャラチャラ感とは一線を画すことを彼自身も意図しているのだけれど、離婚調停後、別れた奥さんの車がゴルフで、自分はスズキ・アルトだとか書くあたり若干のバブル臭が。なによりも、この少し前に、伊丹十三の『ヨーロッパ退屈日記』によって確立された、海外でのエピソードをダンディズムとホラ話の中間ぐらいで書くという手法が、21世紀ではむずかしいのかな、と思う。いま現在、これを堂々とできる人は堀江敏幸くらいだが、その高い文学性をもってしても、少しばかり鼻についてしまうという、不幸な運命をたどった芸風なのだ。
 最後に、もう一個だけ挙げるとするならば、1995年前後まではなんとなくリアリティを持って感じられていた、アイデンティティーという言葉が、いま現在とても空虚に聞こえる、ということがある。冒頭に挙げたエピソードは、この人がアメリカを放浪していたころ、ニューヨークでそれを弾き語ることで生活していたギター、自らという存在を確立させてくれる「物」を、アル中の黒人が勝手に鳴らしているのでぶん殴ってやった、殴られたそいつは立ち上がって、自分のアイデンティティーであるところのポケット瓶を必死であおっていた、という不良の自慢話みたいな話なのだけれど、この話に共感できるかどうか、という以前にともかく、アイデンティティーという言葉が空虚にひびいてしまって、なんとなく読むと辛くなるエピソードなのである。
 
(『普通の生活』 1988年、原本1984年 角川文庫)