21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

山村修『遅読のすすめ』 一章「ゆっくり読む」

朝は七時に起き、八時にはカバンを抱えて家を出る。電車にのって職場に行き、デスクにつくと夜まではそこにいる。それが好きだとか厭だとかいうのではなくて、そのように私は暮らしている。そのようにして暮らすのが私の生きかたである。その暮らしかた、生きかたをやめてまで、いまの読みかたをかえたいとは思わない。(五章 「読書の周期」)

 たとえばこれくらいのことは、私も感じていたのだ。けれども、この本にはなにかを啓かれた。私が感じていたことはと言えば、長篇小説を読むとき、一気に読んだのではつまらない、登場人物たちのことをすぐに忘れてしまうので、たとえばヒースクリフが、ジュリアン・ソレルが、マルメラードフが、といった人物たちと知り合いになるくらいの時間は一緒にいたい、ということだ。だから、『人間の絆』を読みながら、すぐには読み終わらないように、一日50ページくらいで止めて、あとは新書やエンターテイメント小説を読むような読み方をする。
 しかし、読み飛ばしていたのでは決して気づかなかった一行に出あう、というような読み方を教えられると、私の読み方はそれでもがつがつしていたのだ、と気付かされる。学生時代にロシア語でドストエフスキーチェーホフを読んで、ぜんぜん進まず、論文を書く上ではずいぶん苦しめられたのだけれど、それでもたのしかったことを思い出した。先月の中ごろに、この本に出あってから、読み方は一向にあらたまらないのだけれど、なぜだかたくさん読むのを止めてしまった。そしてこの項で、もういちど一つの本をしつこく読むことを始めてみようと思うようになった。

それでも歩行や食事などは、あまりに不自然な速さには器官的な拒絶反応がはたらき、歯止めがきくだろうが、本の読みかたに歯止めはない。(34ページ)

(『増補 遅読のすすめ』 ちくま文庫