21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

堀江敏幸『回送電車』 「誕生日について」

そもそも書き手の力量や資質は、他者の作品の梗概を書かせてみれば一目瞭然なのであって、愛も理性も感受性も、そこでは残酷なまでにはっきりと示されてしまうのである。(「梗概について(正)」)

そもそも小説でも評論でもエッセイでもなく、時刻表のはざまに属するような散文を目指す、というのが「回送電車」というタイトルの由縁なのであって、それを「随筆」と分類してしまったのは、ささやかな悪意の働き以外の何者でもない。また、きわめて美しい散文が集められたこの本のなかで、比較的出来が悪いと言わざるを得ない「誕生日について」という一項をとりあげるのも、これも悪意なのかしら、と思ってみるが、それでもなんだか歯切れもリズムも悪いわりに、この文章は不思議な魅力を放っている。
 こどもにとって、約束された幸福の日である誕生日。それが輝きをうしなって日常に呑まれてしまうのはいつのことだろうか。思えばここ3年ほどの私にとって、誕生日はかならずある一つの仕事の締切日で、(しかも、年に二回あるもう一度の締め切りはクリスマスという悪意の徹底ぶりで)、「寝る暇もない」というほどではないが、確実に睡眠時間を削らなければいけない事情が続いている。『マルテの手記』を援用して誕生日の消滅する謎を解くこの文章は、「完璧な一日」を演出するはずの黒子である大人たちの存在に気づくことが、こどもを無垢の楽園から追い落とすのだと言うのだけれど、なんだかやっぱり歯切れが悪く、それゆえに魅力的である。

それは正しく引き受けるべき幸福な単調さと呼ぶべきものであって、運動会や遠足や文化祭や卒業式などの、季節ごとの学校行事の規則性にひそんでいる退屈さにも似た、どこまでも均質な時間なのだった。(32ページ)

(『回送電車』 中公文庫)