21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

小山田浩子『工場』

仕事に身は入らないし、大体身が入ったところで大差はない単純作業なのだが(あらためて考えると、この作業を誰かにさせるために余分に賃金を払おうという工場の考えは酔狂だ。機械でも開発するがいい)、それでもあまりぼーっとしていると逆に辛くなってくる。何だか自分と労働、自分と工場、自分と社会が、つながりあっていないような、薄紙一枚で隔てられていて、触れているのに触れていると認識されていないような、いっそずっと遠くにあるのに私が何か勘違いをしているような、そんな気分になってくる。(127ページ)

 

 不条理文学の魅力は、できるだけ真剣にロジックを追おうとして、ミッシングリンクにつきあたり、宙に放り出された時の、そのなんとも言えない浮遊感だ。無論カフカにもあるし、昨今ではイシグロがその名手と言えるだろう。

 ただ、この作品は、どうやらロジックが繋がっている。中途半端に不条理っぽいだけの作品であれば、そもそもそ真剣に筋を追う気にもなれないが、ノートをとって読ませるだけの魅力が、小山田浩子「工場」にはあった。

 以下、がっつりネタバレする予定なので、ネタバレしたくない人はここで読むのを止めてほしい。

 物語は語り手その一、牛山佳子がハローワークの紹介で「工場」の面接に行くところから始まる。面接官は印刷課分室の長と思しき後藤であり、正社員の面接に来たつもりの牛山は、体良く契約社員として採用され、シュレッダーで書類を裁断する仕事をするようになる。

 17ページからは語り手その二、古笛が登場する。彼はどうやらオーバードクターの研究者なのだが、指導教官の紹介、というか命令で「工場」の屋上緑化とコケの分類の仕事をすることになる。なぜか住みこみで。彼については、入社五年目で広報企画に所属する後藤が指導役らしい。しかし、古笛にはなんの仕事も与えられず、年二回の「コケかんさつかい」だけを延々主催することとなる。

 32ページから語り手その三が登場して、しばらく名前が明かされないのでややこしいが、これが牛山の兄である。SEをやっていた彼はリストラにあい、派遣会社の正社員をしている彼女の紹介で「工場」の派遣の仕事にありつく。彼の仕事は、何だかよくわからない工場の社内文書の校正だ。

 まずは「工場」が街よりも大きい、という設定であったり、謎の黒い鳥がそこらじゅうを飛び回っていたり、何よりも語り手たちがほぼ無意味な仕事を延々やっているという、王道すぎる不条理文学の展開に、ほとんど萌える。そこはかとないプロレタリア文学の匂いもポイント高い。

 しかし、この時点で分かり易すぎるくらい矛盾点が見えている。つまりはこの物語の「いかれ帽子屋」ウサギに相当する後藤は、牛山(妹)に対しては印刷課分室の管理職であり、後藤に対しては広報企画課の先輩社員だということだ。時間軸が違うのではないか、とぼんやり思っていたら、案の定、後半に後藤の手によってネタバレがあり、古笛の入社は十五年前であることが分かる。

 大体、時間軸を混乱させているのは、古笛の頻繁すぎる回想で、68ページで老人とその孫が住所兼仕事場を訪ねてきてからは、彼もほぼ牛山兄妹と同じ時間軸にいるのだが、彼はたちが悪いことに、スペースを空けずに回想を入れる。というか、むしろ回想に現在時を挟む形で回想している。これによって読者の混乱が狙われているのは明らかがだが、作者は律儀に鍵をそこら中に置いてあるので、これくらいならパズルを組み立てるように時間軸が整理できる。

 面白いのは三人の語り手全員の語りに登場する人物はいないのに、二人の語りに登場する人物は沢山いることだ。全部に登場してそうな後藤は牛山(兄)の語りには登場しない。兄の恋人は兄弟の語りには登場するが、正社員の古笛には関係ない人である。牛山(兄)と同じ校正の仕事をやっている入野井さんは、どうやら元は工場企画にいたらしく、入社間もない古笛が後藤に電話をかけた時に応答するのが、「イリノイ」という人だ。そして、極めて重要な「工場の生き物の観察」を書いた小学生、寒川光の祖父寒川は、古笛の住居を訪ねるだけでなく、牛山(妹)のシュレッダーチームのリーダーでもある。

 つまり、この三者が同じ世界に属していることを証明してくれる人は誰もいない。ただ、これがイシグロの小説ならば、顔の見えない人物がぽっかり空いた穴に見える、というような感覚をもたらすところだが、どうにもこれだけ状況証拠が固まっていると、証人がいなくてもこの世界は地続きであると考えても良いのではないか? 宙に浮いたような感覚はない。しかし、地面が硬いということは必ずしも読者に安心感をもたらすものではなく、むしろ私は、広大な迷宮のような工場から永遠に出られないような感覚を覚える。

 その閉塞感の中でのラストシーン。牛山(妹)が黒い鳥となって飛び立つシーンが妙に清々しい。これは、本格不条理小説の名作である。

 

(『工場』新潮文庫、初出 2010年)