21世紀文学研究所

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K.イシグロ『わたしを離さないで』感想その②忘れられた登場人物

 最初に読み終えたとき、登場人物は何人、頭の中に残っているだろう? 正直を言えば、わたしの場合、さすがに、主人公級のトミー、ルース、キャスは大丈夫としても、あとはマダムと、ブルドックの顎を持つルーシー先生くらいだった。マダムよりも重要なはずのエミリ先生ですら、再登場のとき、「誰?」と思ったくらいだ。第二部に登場するロドニーやクリシーなど、役割のはっきりしている人は、存在は覚えていたが、名前を忘れていた。
 ほかの読者はここまで不注意ではないと思うが、実のところこの作品には、とても覚えきれない数の人物が登場している。たとえば、ヘールシャムでの少年少女時代を描いた第一部に登場するのは、名前がついている人だけで、実に53人(生徒41名+保護官12名)。さよなら絶望先生もびっくりだ。数えてみるまで、存在にすら気づかなかったが、なんと「ピーター」という名前の少年は三人も存在し、うち二人はけっこう重要な役割を与えられている。なお、マダムの名前は第三部まで出てこないので、ここにはカウントしていない。
 小説のカメラは、慎重に登場人物からピントを外そうとしているようだ。基本的に、生徒たちの外見について語られることはない。語り手のキャスの姿が見えないのはやむを得ないにしても、主人公級のトミーやルースについても、それぞれ大柄だったり、あまり髪色が濃くないこと程度しかわからない。かれら三人については、内面が濃密に描かれているから良い方で、ほかの生徒はキャラ付けすらない。唯一、キャスが「親友」と呼ぶローラにお調子者、というあまりにわかりやすい役割が与えられているだけだ。
 次回以降にもう少し詳しく書くが、キャスの語りはまわりくどく、まるで論理ゲームのようである。たとえば冒頭、「わたしたちは五人、たまにジェニー・Bが加わるときは六人のグループでした」とあるが、この「五人」が誰なのか、一向に教えてくれない。当然、キャスとルースは入るとする。加えて、五、六歳のころから「よく遊んでいた」とすこし後で触れられていて、その後も登場回数の多いハナとローラを入れると四人になるが、残る一人については、皆目わからない。そもそも、六人目とされている「ジェニー・B」はこれを最後に一回も登場しないのだ。
 第二部では、ヘールシャムから同じコテージに移ったのが、「わたしを含め八人」で、「仲良しだった生徒のほとんどは、あの夏、わたしと一緒にコテージに来ていました」という。読み続けていくと、キャス、トミー、ルースのほかに、上記のローラ、ハナが登場し、かなり後半の第十六章でアリス・Fとゴードン・Cが「ヘールシャムの仲間では初めて(コテージから)いなくなる」ことが触れられているから、七人まではわかるが、また最後の一人が不明瞭なままである。逆に、この八人に入っていなくて残念だとキャスが言っている「シンシア・E」こそ、第一部の五人の最後の一人とすることもできるが、キャスは近しい人は苗字(のイニシャル)抜きで呼ぶ傾向があるため、断定はできない。個人的には、五人目はほんの一瞬しか登場しないが、苗字抜きで呼ばれているマチルダではないか、と思っている。
 キャスの語りは、わかりやすさを丁寧に避けていると言ってもよい。『日の名残り』や『わたしたちが孤児だったころ』を読んだ人ならわかると思うが、『充たされざる者』を除くイシグロ作品の語り手は、あからさまに思い込みが激しく、すぐに白昼夢の世界に突入するので、読者はけっこうハラハラさせられる。しかし、キャスに関しては一見、冷静に淡々と語っているように見えるため、これが表向きの読みやすさにもつながっている。しかし、彼女はそれほど一筋縄でいくような人格ではないようだ。