21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

K.イシグロ『わたしを離さないで』感想その③語り手としてのキャス

 「信用できない語り手」という、どちらかと言うとチープな評論用語がある。イシグロ作品についても使う向きがあるようだが、そもそも一人称の語り手を相手にして、記憶の正確さや語りの公平性を求めることには、無理があるように思う。だから、「信用できない」とまで言うのは、カイザー・ソゼ級のペテン師に出逢うまでとっておきたい。イシグロ作品に使うなら、かろうじて『忘れられた巨人』だろうか。もっともあれは三人称多視点だが。
 さて、問題はキャスの語りだが、彼女は自分の記憶の正確さを、しつこいくらい強調する人である。第一部で、「同級生の一人」とか「ある女の子」くらいで済むキャラクターたちを、すべて名前で呼んでいるのも彼女だ。トミーやルースの介護人になり、ヘールシャムでの想い出を語るさい、かれらと記憶が食い違うことがあっても、キャスは常に、「自分の記憶が正しい」としている。第二部でルースと決定的に仲違いし、コテージを出て行くときも、心の奥底ではどうあれ、ルースがヘールシャムのことで「忘れたふり」をしたことが仲違いの理由である、としたくらいだ。
 過去の記憶のことになると、キャスが偏執狂的になるのは事実であり、このことによってむしろ、読者には、彼女が記憶を歪めているような印象を与える。しかし、ルースとの仲違いの場面にもう一度目を向けるなら、キャスの語りは、いわゆる「信用できない語り手」がするように、過去の事実を歪めているのではなく、むしろ自分の感情から読者の目を逸らそうとしているのだとわかる。
 たとえばこの仲違いの場面でキャスは、ルースが「ルバーブ畑を忘れたふりをした」ことを問題にして、あまり長くないシークエンスの間に三回もそれを批判するが、実際にはこの時、もっと大きな事件が起きている。ルースはキャスに対し、「誰とでもセックスするようなあなたは、トミーの恋人に相応しくない」というあからさまな攻撃をしたにもかかわらず、彼女が怒りを露わにするでもなく、感情を隠していることに苛ついて、「なんだってルバーブ畑が出てくるのよ。言いたいことをさっさと言いなさいよ」と感情を爆発させているのである。
 キャスの語りについて考えるとき、第一部の時系列を見直すことが役立つように思う。キャスは、「古い記憶を整理しておきたい」(第四章)と言っているが、整理したはずの語りの時系列は、かなり複雑に入り組んでいる。
 第一部の九つの章は、縦横無尽に時間軸を行き来するように見えて、実はいくつかの軸の周りを回っているように思う。冒頭に語られる「年長組二年の夏」、つまり十三歳の夏の、キャスとトミーのエピソードがひとつめの中心軸となり、さらに、(おそらく)十一歳の冬、キャストルースのエピソードがもうひとつの軸を構成する。それ以外の時間は、エピソードの補完のため、それらの軸を衛星的に周回している。七章以降は、「二十二番教室のルーシー先生」をはじめとして、十六歳のときのエピソードが中心だが、これはどちらかというと「十三歳より後に起こったこと」という扱いであると思う。
 十三歳の夏に起こったこととは、大まかに整理するなら(1)癇癪持ちでいじめの対象だったトミーにキャスが助け舟を出し、それをきっかけに二人の距離が近づく、(2)ルーシー先生の言葉で、トミーは癇癪を起こさなくなり、キャスと意見交換をするようになる、とまあ、たったそれだけのことである。だが、キャスにとってトミーが大切な人になったのは、間違いなくこの夏であり、それはおそらく、他の生徒たちが口にすることのない、自分たちが生きる理由について、二人が初めて本音で語ることができたからだろう。そして、ヘールシャムの記憶が大切なものになったのも、この夏があったためと言える。
 それほど事件が起こらないトミーとのエピソードに比べて、ルースとの間には、長いスパンで複数の事件が起きる。(i)七歳のとき、ジェラルディン先生の秘密親衛隊を結成するが、キャスはルースと気まずくなって途中から仲間はずれにされる、(ii)その三年後、ルースが筆入れをジェラルディン先生のプレゼントのようにして見せびらかす、(iii)キャスは周到に計画を立て、それがプレゼントでないことをばらす、(iv)キャスが大切なテープをなくす、(v)ルースが代わりのテープをくれて、気まずくなっていた関係が修復される。この作品で最も印象的な、「わたしを離さないで」の音楽をバックに、キャスが存在しない赤ん坊を抱いて踊るシーンも、(iv)の付属エピソードとして語られている。
ここで気になるのは、十三歳の夏であることが明記されているトミーとのエピソードに比べて、ルースのエピソードは時系列がそれほどはっきりしないことである。起点となる(i)については「わたしたちが七歳、年内に八歳になろうという頃」とキャスが言っている。(なお、これはひょっとしたら全員の誕生日が同じであることを意味しているのかも知れないが、ここでは深く追求しない)。しかし、問題の「秘密親衛隊」については、キャスが「九カ月から一年ほども続いた」ことを前提に、「その三年後(ii)(iii)」、「ミッジの件から一カ月ほどあと(iv)」として話を進めている一方で、ルースは秘密親衛隊自体が二、三週間で終わったとしており、大きな矛盾が生じる。
 なぜルースとここまで記憶が食い違うのかについて、今のところ確からしい仮説はない。ただし、キャスにトミーとの記憶が額縁に入れて飾られたように固定のものであるのに対し、ルースとの記憶は不定形のものであり、必ずしも彼女の言うことが正しいわけではない、と言えるだろう。