21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

今月読んだ捨ておけぬ三冊(6月編)

Jeffrey Eudenides "the virgin suicides"

たしかに21世紀が閉塞した時代である、と断言するには聊かのためらいがあるけれども、個々人がそこになにかしらの「聖域」を見出さなければいられない程に、それは閉じこもっていると思う。宗教や思想をもたないものにとって、「聖域」とはむしろ「愛」よりも「好き」の感情から来るものであって、それは家族やキリストや祖国への想いではなく、アイドルや阪神タイガースやあるひとつの芸術ジャンルに対する感情の副産物なのかもしれない。
 "the virgin suicides"は、自殺した田舎町の五人姉妹を「聖域」とするオタクたちの物語であるとともに、ある種、この小説自体が捏造された聖域である。その場所は、くりかえし訪れることはできるけれども、どこへも開かれていない。

エウゲーニイ・ザミャーチン『われら』

 『われら』という小説は、たいへんにうまく描かれすぎていて、なにか物足りない印象を与える。ひとことで言えば、短い、のである。ファム・ファタルであるI330号も消化不良のままいなくなってしまうし、全体主義国家の長であるらしい「慈愛の人」は2ページほど、しかも幻のように登場するだけだ。
 ただし、そんな思いは私たちが20世紀型の物語に毒されすぎているからかも知れない。宇宙船「積分号」はもっとワクワクする冒険に出遭うべきであるし、「緑の壁」を打ち壊したテロリストたちの革命は、それが内ゲバに至るくらいまで描かれて然るべきだ。『われら』は、クロノロジックにみても、そんな所与以前の場所にあるし、私たちは、すでにその典型の外にいる。

ジェーン・オースティン高慢と偏見

 もちろんこの小説は19世紀のはじめのはじめに書かれたものなのだけれど、なんだか「婚活」小説としてみょうにリアルである。オースティンの登場人物は、19世紀のもう少しあとに流行る小説の人物に比べれば、あまり感情に流されることはないし、ちゃんと相手の年収とか、人間性とかを見てから結婚を決める。なによりも現代的に映るのは、「愛」ではなく、「好悪」の感覚がすべてに優先されていること。て、ことは何か? わしらは19世紀イギリスの田舎貴族なのか。