21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

ロシア文学マストリード100を作る(第一回)

 四十を過ぎて、とは毎回のように書いているけれど、実際のところ、加齢によってものの考え方というのは変わるものだ。

 学生の時はロシア文学の研究者を志していた。勉強が足りなくてなれなかったが、それだけではなく作品や社会、そして人間に対する視野もせまかったように思う。

 社会人を十五年やった。いまの目線でロシア文学を読み直してみたら、どのように映るだろうか? また、ミステリとか時代小説とか、世の中に「マストリード」は溢れているように見えるけれど、こんなニッチなジャンルについて作成している人はいない。なので、中年の集大成として、ロシア文学のマストリードを作ることにした。

 世には疫病が流行っていて、リーマンである私の関心も財政・経済政策にすっかり向いている上、スーザン・ソンタグとか読みはじめてしまったが、月一回をめどに更新したいと思う。

 現時点で、読んだ作品は三作。

 

レフ・トルストイ戦争と平和』(工藤精一郎訳、新潮文庫

フョードル・ドストエフスキー『白夜・おかしな人間の夢』(安岡治子訳、光文社古典新訳文庫

アントン・チェーホフ『かわいい女・犬を連れた奥さん』(神西清訳、岩波文庫

 

 ともかく『戦争と平和』のおもしろさに圧倒された。別の項で書いたが社交界でのかけひきの緻密さとサスペンス、場面の切り出し方、キャラクターの立て方など小説の見本、とも言うべき作品である。深掘りする時間がなくて、感想を書けていないが、戦場小説の典型としても分析すべき点は多そうだ。トルストイ御大が運命論をぶちかまし、登場人物の粛清をはじめる後半はだいぶきつくなるが、それでも十分に面白い。

 「おかしな人間の夢」は私の修論の中核をなした作品である。『地下室の手記』に言う、「すべての意識は病である」の病とは、楽園を追放された際の原罪だ、というのが論文の骨子だが、その根拠としてこの作品を挙げた。読み返してみて連想したのは、『最強伝説黒沢』の「感動などない」と、『幼女戦記』の存在Xと、伊藤計劃の『ハーモニー』を合わせたような話だな、ということだった。

 チェーホフは街の描写が素晴らしかったがちょっと読みこみ不足なので、別の訳でもう一度読んでみよう。