21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

M.ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』 2「ポンティウス・ピラト」

 そこで彼は、沈黙している町の上に《R》の音を転がすようにして叫んだ。
「バラバ!」
 この瞬間、すさまじい音響とともに太陽が頭上で炸裂し、耳に炎を流しこんだようにピラトには思われた。その炎につつまれて、咆哮、金切声、呻き、哄笑、口笛が荒れ狂った。
 ピラトはくるりと向きを変えると、なにものにも目をくれず、ただ躓かないようにと足元のさまざまな色をした碁盤模様だけをみつめながら、演壇から引き返し、階段のほうに歩きだした。
(328−329ページ)

 竹熊健太郎相原コージの名著『サルまんサルでも描けるまんが教室)』に、「ウケるロックまんがの描き方」という回があって、マンガからは音が出ないのでそこが問題だが、『がきデカ』は音が出ていた、というのが趣旨なのだが、その理屈で言えば『巨匠とマルガリータ』のこの場面においても音が出ている。
 そもそもこの章は、「巨匠」が書いたあと火にくべてしまった「ポンティウス・ピラトに関する小説」の再現である。ローマ提督が捕らえた4人の罪人のうち、過越の祭りを祝う恩赦によって、ヨシュア(イエス)を救うか、強盗のバラバを救うか、その判断を背負わされたピラトがヨシュアに実質上の死刑を宣言する。この小説(「巨匠とマルガリータ」のほう)には数多くのたくらみが含まれているが、「キリストが読む小説」として挿入された小説のこの場面で、ほどこされているのはたった一つの処置だ。それは「BARABA」(破裂音+R+破裂音)というとんでもない名前の強盗を登場させ、巻き舌で名高いロシア語の「R」の音をさらに響かせて効果をたかめること。その後も音や叫び、ざわめきといったものが小説の中ではずいぶん描かれるが、この小説内小説(語呂がわるいな)の中で響く轟音の比ではない。
 じつは『巨匠とマルガリータ』という作品は、私にとって昔から、とてもとっつき辛い作品としてあって、原文にあたりもせずに何か書くことはいまだに躊躇われるのだが、この場面を起点に、何回か書いてみようと思う。

「たったひとつの月のために一万二千の月なんて、ずいぶん多すぎません?」とマルガリータはたずねた。(32「許しと永遠の隠れ家」)

(『巨匠とマルガリータ』 水野忠夫訳 『集英社ギャラリー 世界の文学15 ロシアⅢ』)