21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

S.ソンタグ『隠喩としての病』

近代以前の病気観では、性格の役割は罹病してのちの患者の行動とだけ関係するものであった。他の極限状況と同じで、恐るべき病気もまた人間の最も醜いものと美しいものを引き出すというのである。けれども、流行病の平均的な記述を見てゆくと、病気が性格に与える破壊的影響のことが主軸になってくる。病気は悪行への罰なりという先入観が記述者の側に弱いほど、病気の蔓延によって道徳的な退廃が明証されたと力説する記述になりやすいのである。6162ページ)

 

 ここだけ読むと逆説的にも聞こえるのだが、ソンタグは前の部分で、古代においてはペストを代表とする「病気=神の怒り」であり、近代における病気は、結核と癌に代表されて、「自己を裏切って正体を暴くもの」だとしている。つまり過去においては社会全体や個人の悪行への罰であった病は、病んだ人のふるまいや性格と関係づけられることによって、「悪い」性格が表に出たもの、になってしまった。

 性格、というと違和感があるかも知れないが、癌について、「悪い」生活習慣やストレスをためやすい環境、と言い換えると納得できると思う。すくなくとも病気になる理由については、「罪を悪んで人を悪まず」の真逆で、罪ではなく人に帰せられるようになっているのだ。

 COVID-19について、「人間の罪に神が与えたもうた罰」とは、よほど特殊な人しか言うまいが、その無慈悲な感染力から、個人には帰せられないものになっていると思う。(一部で「自粛せずに出歩いている若者」とか「夜の街」が悪者にされてはいるものの)。どちらかと言うと、憎しみの対象となっているのは防疫に失敗した政治で、たまたま政権を私物化しまくっていた悪い人が権力の座にいるせいもあるが、変わった現象だ。おそらく、検査を渋って病気を「隠蔽」したという印象が強いからだろう。見えないウィルスという悪が暴かれる機会を奪われたことに、人びとが恐怖したのだ。「エイズとその隠喩」でソンタグは言う。「しかし隠喩は回避さえすれば距離のおけるものではない。暴露し、批判し、追求し、使い果たさねばならないのだ」。病が使い果たされる日が一刻も早いことを祈る。

 

(『隠喩としての病 エイズとその隠喩』富山太佳夫訳 みすず書房