21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

木村榮一『ラテンアメリカ十大小説』

 私ごときの体験を、木村榮一のような大学者に擬して考えることはたいへん失礼な話だが、外国文学を読みこめば読みこむほど、「普通」の感想しか出てこなくなるのではないだろうか。日本語で読み、あくまで日本人の感覚で作品を処理しているときこそ、妄言・妄想がわさわさ沸いてでてくるけれど、原語で何度も読み、周辺資料もあたっていくにつれて、出てくる結論はわりと「当たり前」のものになっていく。つまり、「ふーん」と言う感じである。そのことは作品に対するときのワクワク感を削ぐものではないのだけれど、自分が勢い込んで書いたものに関しては、なんとなく、「ふーん」が出てしまう。このことは、大きな苦しみである。
 そんなわけで、本書において木村榮一は、あえて素人っぽく書いているように思う。まず第一に、「阪神ファンで、勝った日はテレビで観た試合でもスポーツ新聞を買ってしまう」という冒頭のエピソード。そして、ボルヘスの記憶力、魔術的な世界こそがまさに現実であるという意味でのマジック・リアリズム、作品における物語性の重視など、書かれていることはすべて真っ当で、それ故に刺激性は少ない。一方、丹念に描かれたそれぞれの小説家の伝記部分や、魅力的な書きぶりのあらすじは、ラテンアメリカ文学を読みたい、という私たちの気持ちを惹きつけていく。
 この、非常に読みやすい新書を一冊読んで、なぜか私は外国文学者の忸怩たる苦悩を感じた。ほんとうはボルヘスのような、刺激的な言葉をかきつけたい、という欲望を抑えている、という勝手な推察とともに。

「時間はわれわれにとって大きな問題、つまり人を不安に陥れる難問であり、おそらく形而上学上もっとも重要な問題だろう。それにひきかえ、永遠は一種のお遊び、くたびれた期待でしかない」ホルヘ・ルイス・ボルヘス『永遠の歴史』 本書33ページより孫引き)

(『ラテンアメリカ十大小説』 岩波新書