21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

猪木武徳『戦後世界経済史』 第一章第1節

グローバル化」が行き過ぎたことによって、逆に保護主義による「ブロック化」へと振り子は振れたのである。(10ページ)

 本書は日本経済新聞の「2009年エコノミストが選ぶ経済図書ベスト1」に選出されたわけで、私もビジネスマンの端くれとして手にとってみただけなのだが、本書が一貫してとる「俯瞰」という姿勢のダイナミズムには圧倒される。あえて悪く言えば、「俯瞰」とは日和見に他ならず、本書を読んだからといって経済危機を乗り切るアイデアが得られる訳ではないのだが、しかしその姿勢から湧き出る膨大な量の見識(というか「ものの見方」)には、何度も目からウロコが落ちる思いだ。
 たとえばこの第一章第1節は、本書を書く上での五つの視点(市場の浸透と公共部門の拡大、グローバリゼーションと米国の時代、所得分配の不平等、グローバル・ガヴァナンス、市場の「設計」と信頼)があらかじめ述べられているわけだが、この説だけを読んでも、日常私たちが(というか私が)、なんだかよく分からないまま使っている「グローバリゼーション」という言葉への気づきは多い。たとえば、第一次世界大戦前は、金本位制によるグローバル化が進んだが、二回の大戦を経て、むしろ国際貿易は縮小し、1970年代に至るまで世界貿易のレベルは回復しなかった、という指摘。つまり世界国家と世界共通語でも発明されない限り、世界の均質化など容易に起こるものではない、ということだ。すなわち、何も考えずに「グローバル化」を支持していても、逆に「グローバル化」による不平等化を盲目的に指摘しても、世界は変わらない。筆者は、「ほどぼどに所有している人」が増えるかどうかが重要、というきわめて常識的なところに着地しているが、重要なのは俯瞰の視点と、「あたりまえ」の判断をもちながら(何があたりまえかは難しいところだが)、個別の案件を詳細に見ていくことだと言いたいのではないだろうか。
 現代社会がイデオロギー、もっと言えば単一の「信念」では御しきれないものになっているのは、自明のこととすら感じられるが、そんななかで、ものごとを俯瞰する、大事業に望んだ名著であると思う。

東アジア・東南アジアをも含む激しい競争が広く行きわたり、米国経済の相対的な地位低下が進み、世界経済の統治機構の力が弱まったと述べた。この傾向を国や地域というレベルで、歴史的なタイム・スパンで捉えるとどうなるか。そして国や世界の秩序形成のためには、いかなる解決の糸口が見出せるのか。おおまかな結論を先に述べると、市場経済のインフラとしての「信頼(trust)」をベースにした、自由な経済活動こそ、いつの時代も健全な経済発展にとって必要だということであろう。(26ページ)

(『戦後世界経済史 自由と平等の視点から』 中公新書