21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

佐藤優『自壊する帝国』 第二章

「結局のところモスクワは他人を利用しようとする人間だけが集まった肉食獣の街だよ。コーリャにはベラルーシ人として生きて欲しい。こんな生活は僕で最後にしたい。」(第八章「亡国の罠」)

 駐在員などで集まって話をすると、「(日本に帰るとき)モスクワのお土産は半年で尽きる」という話になる。まあ、半年に何回帰るかというのにもよるが、マトリョーシカウオッカ、「クラスヌィ・オクチャブリ(赤い十月)」のチョコレート、チェブラーシカのぬいぐるみなど、たしかにそんなに幅は広くない。
 しかしながら、土産話につきることはない。もちろん今年の38度を超す猛暑や、泥炭火災の煙の話も出来るし、アルコールやセックス、金の話などスキャンダラスな話(アネクドート)に事欠かないからだ。佐藤優氏のこの本も、導入部はうまくこういったアネクドートを利用していて、ロシア人は週に16回セックスするだとか、ソ連末期には赤マルボロがドルの代わりになった、などという有名なアネクドートをたくさん披露している。ゆえに、読む側は飽きることがない。
 いちばん面白いのは、ゴルバチョフがアルコールの販売を規制したときのエピソードだろうか。街からアルコールが消え、次にどぶろくを造るための砂糖とイースト菌が消えた。つづいてジャム等が消え、発酵できるものはみんななくなってしまったので、最後にはオーデコロンが消えた。……と、通常の人が仕入れるアネクドートはここまでで終わっているが、このあとが気がきいていて、オーデコロンの次には靴クリームが消えた、というのが来る。そして、靴クリームのアルコールをいかに「食べる」かが描写されるのだが、そこから先は本書を読んでいただきたい。
 むかし、院生として大学生協の書評をやらせていただいたときに、『国家の罠』だったか『獄中記』を評して、「自分をカッコよく見せる能力にきわめて秀でた人」と書いたような気がするが、その真偽はさておき、やはり佐藤氏の書く技術は、現代の書き手の中でも抜群だろう。ただ、この本については、アネクドートの盛り上げ方を楽しんだり、またちょっぴりナルシスティックなエスピオナージュとして読むより、ソ連崩壊から現代に至るまで拡がっているロシア人の「気分」を活写した書として読むのが正しいように思う。このことについてはまた後述する。

その後、人間的には決して好きになれないロシア人に擦り寄って、話を合わせて情報を取る仕事をしているときも「誰かがやらなくてはならない仕事だ」という言葉がこだました。(第三章 「情報分析官、佐藤優の誕生」)

(『自壊する帝国』 新潮文庫